No.115 2014年1月

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鳩ヶ谷周辺で見られる野鳥シリーズ (128)

ミサゴ Pandion haliaetes

ミサゴ(鶚)は魚類を主食とし魚を捕るところから「うみたか」とも呼ばれ、トビよりもやや小さいが、翼は長く飛翔中はトビよりも大きく見えます。頭部と腹部からの下面は白く、眼を前後に通過するように黒い線があります。魚を捕る時は空中に静止して狙いをつけて急降下します。

 ミサゴの生息する場所は海岸や大きな湖沼地帯などですが、冬季は内陸部でも見られることがあります。川口市周辺では近年になって芝川第一調節池では不定期ではありますが、毎年観察されるようになりました。旧鳩ヶ谷市内では昨年、桜町6丁目の自宅上空をカラスに追われていたのを観察したのが初めての記録となりました。

 

    鶚飛ぶ潮ひびかせて立つ巌 上村占魚

 

自然の記録

自然の記録を書き始めてから10年経ちました。この間に記録した動物・野鳥は152種類、昆虫類が467種類、植物381種類で合計1000種類となりました。意識してあわせたわけではありませんが、10年間で1000種類の生物を記録できたことに自分でも驚いています。自然破壊が進行している旧鳩ヶ谷市内に、こんなにも多くの生物が生息していることに今後も新しく記録されるものが多いのではないかと思います。

 

 1月 6日 旧鳩ヶ谷市内(水辺を除く)を2時間ほどかけて一回りしましたが、観察できた野鳥はコサギ、ヒヨドリ、キジバト、ムクドリ、スズメ、オナガ、ハシボソガラス、ハシブトガラスの7種類でした。いずれも都市型鳥類と呼ばれるものでした。

 1月 7日 今日は七草粥で五節句の一つにあたります。セリ、ナズナ、ゴギョウ(ハハコグサ)、ハコベラ(ハコベ)、ホトケノザ(コオニタビラコ)、スズナ(カブ)、スズシロ(ダイコン)、江戸時代に七草粥をつくるときにうたわれた歌として以下の歌が知られています。

        草なずな 唐土の鳥と 日本の鳥と 渡らぬ先に

我が家の庭では、ナズナ、ハハコグサはまだ発芽せず、ホトケノザ、ハコベ、スズシロのみが発芽しています。

 1月 8日 寒い一日となりましたが、玄関わきのセイヨウタンポポのロゼットから黄色い花が開花していました。毎日のように見ていたはずですが見過ごしていたようで。

 1月12日 ここの所、上空に寒気団があり寒い日が続いており霜柱の高さが5pほどになっている場所があり、石が浮いていました。庭のスノウドロップ、アメリカスミレサイシンが開花しました。ヘビイチゴ、キケマン、ウラジロチチコグサ、ウシハコベ、カタバミ等が発芽し、ロゼット状の植物が高さを増してきました。

 1月14日 庭のピラカンサとキカラスウリの乾燥した実を食べにきたヒヨドリで一日中賑わっています。

 1月16日 今日は久しぶりにあたたかくなったので、旧芝川を散策しました。水門付近の水辺は凍っていましたが、暖かさは野鳥にとっても嬉しいようでした。カモ類は盛んに採餌をしたり、水浴びをしたり羽繕いにも余念がありませんでした。観察された野鳥はカワウ、セグロカモメ、ユリカモメ、カイツブリ、オオバン、マガモ、カルガモ、コガモ、ハシビロガモ、ヒドリガモ、オナガガモ、キンクロハジロ、ホシハジロ、アオサギ、ダイサギ、コサギ、イソシギ等の水鳥類、キジバト、ヒヨドリ、ムクドリ、スズメ、ジョウビタキ、ツグミ、アオジ、シジュウカラ、オナガ、ハシボソガラス、ハシブトガラス、ハクセキレイ、カワセミ、メジロ、モズ、ドバト等が観察できました。今日の目玉は、2007年10月7日以来の記録となるイソヒヨドリの雌が観察されたことです。ヒヨドリは数か所で大きな群れが見られブロッコリーの畑では50羽以上が飛び回っていました。1羽のキジバトは胸からお腹にかけてが色黒で、頭頂部に白い換羽のような羽を立てていました。この個体は確認してから3年目になります。また、久しぶりにイシガメを見ることができました。

凍っている青木水門付近の水辺 色黒のキジバト
日向ぼっこをするイシガメ 久しぶりのイソヒヨドリ雌

 1月21日 早朝からオナガの声が聞こえるので外へ出てみると数十羽のオナガが群れており、庭の柿の木や隣家の柿の木に残っているカキのヘタを啄んでいました。現在旧鳩ヶ谷市内周辺で生息しているオナガの個体数は50羽以下と推測しているが、今朝は半数近くが飛来していたようです。近くを流れる江川の小さな遊水地では水がなく、ムクドリ60羽、ヒヨドリ、ハシボソガラス等が群れていました。色々な野草の種子が落ちているようです。川の縁ではコサギが体を丸めていました。近所の庭ではアロエのオレンジ色の花が開花していました。

アロエの花 久しぶりに見るジョウビタキ

 1月23日 庭のブロック塀に沿っていろいろな野草が生えてきましたが、コオニタビラコが開花し始めました。旧名は七草粥に使用されるホトケノザです。葉が仏の座のようになっているところから命名されたようです。ウメのつぼみも少し膨らみ始めましたが、我が家のウメは奥手のようで、各所のウメが咲き終わる頃にようやく咲き始めます。主に似ているのかもしれません。

 1月24日 久々にツグミが飛来して庭で採餌をしていましたが、今年のツグミは警戒心が強いようです。

 1月27日 近所の空き家となっている民家の庭に大きな紅梅の木がありますが、いつの間にか8分咲きになっていました。その近くの苗木畑では白梅が2分咲きになっていました。今年は例年よりも1週間ほど早い気がします。

 1月29日 前川地区に住んでいるSさんより、芝川の地蔵橋付近でキチョウ2羽が飛んでいたとの情報をいただきました。1月にキチョウを見るなんて一昔前には考えられないことでした。

 1月30日 湧き水公園の駐車場が宅地化されるのに伴って整地されたところに、スズメ、ムクドリ、ツグミ、キジバト、ハシボソガラス等が集まって採餌していました。シジュウカラはハンノキの花芽に来て何かを啄んでいるようでしたが小さくてよくわかりませんでした。しかし、囀りは春の声になっていました。後背地の斜面林ではシロハラの姿が見えました。

 1月31日 日中暖かく水辺ではゴイサギが寛いでいました。背伸び、欠伸、羽繕いなどをしながら4時間以上に亘って定位置にいたようです。

暖かい日差しを浴びて背伸び、欠伸、羽繕いをするゴイサギ

 

地球温暖化を考える(68)

各地で開発が進む中、昔からの鎮守の森が大切に保存されているところがあります。久喜市菖蒲町にある新明神社もその一つです。社叢参道の緑地幅は狭いものの日中でも比較的暗い感じがしており、一歩参道へ入ると夏でも涼しさ抜群の環境です。近年は宅地開発が進み、社寺林の際まで住宅が立ち並び、社寺林から落ちる落ち葉の苦情も多く、林の木を伐採してくれという苦情も多いようですが、新明神社は周りが畑地であるところから社叢が残っているところです。鎮守の森は、社を守るだけでなく近隣の気温を下げる効果もあり、このような場所を核として貴重な緑地を残していきたいものです。

久喜市菖蒲町の新明神社の森

神明神社の社叢:神社内の掲示板によると、

『埼玉県指定天然記念物 埼玉県南埼玉郡菖蒲町大字上栢間3366他 昭和52年3月29日指定された神明神社は、古くから住民の信仰を集めてきた由緒ある社である。社叢は、長さが550メートルをこす参道林と境内林とからなり、面積は約1.74ヘクタールに及ぶ。参道の両側には、アカマツ・クロマツの並木が続いている。境内林は、高木にアカシデが多く、部分的にスギが点在する。 これより低い木としては、ヒサカキ・シロダモ・エゴノキ・アズマネザサ等が多い。この社叢は、現在はアカシデを主体とした不安定な状態を示しているが、潜在的にはヒサカキ・サカキを主体とするシラカシ群を自然植生とみることができる。 境内にあるアカマツの大木は、樹状が笠状を呈するので、「笠松」として知られている。埼玉県東部低地には、潜在自然植生をよく示す広域的な林は少なく、貴重である。 昭和54年11月3日 埼玉県教育委員会・菖蒲町教育委員会』

『神明神社 所在地:南埼玉郡菖蒲町大字上栢間神明神社の創立は、社伝に景行天皇の時といわれる。祭神は、古くは天照皇大神、豊宇気毘売神、大宮売神の三神であったが、現在は天照皇大神、豊宇気毘売神の二神を祭っており、伊勢神宮の分霊のため、近年まで「神明両社」と呼んでいた。江戸時代、徳川家譜代の家臣内藤四郎左衛門正成が、栢間および新堀、三箇、戸ヶ崎、小材の旧五か村を領してから、五か村の総鎮守として以来、歴代の領主が厚く崇敬した。明治6年に村社となり、昭和16年郷社に昇格し「神明神社」と改称、さらに昭和20年に県社となった。本殿は、天保8年(1835)に建てられたもので、昭和38年に屋根を改修している。毎年1月15日には、火防除と呼ばれる「鎮火祭」と、その火で粥を煮てその年の作物の豊凶を占う「筒粥」の神事が行われる。筒粥の神事は、大鍋に米三合水六升を入れ、葺の節のないところを長さ七寸位に切り、十八本を簀状に麻で結ぶ。一本一本の葺に米粒が入る数によって占い、多くの米粒がはいったものほど豊作とされている。昭和58年3月 埼玉県』

新明神社入口付近 神社の参道
神社の社叢 550mの参道林