縦書き by 涅槃 『鳩ヶ谷博物誌』へ 『郷土はとがや』 第61号 平成20年5月18日
鳩ヶ谷の生物8
「ドバト」平和の象徴
藤波不二雄
埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅にある市民センターは「ダヴ」という名称で呼ばれていますが、ダヴはハトを表す英名です。
ハトの英名は体の大きさにより異なり、小型の種類はDove、大型の種類をPigeonと呼んでいるようですが、はっきりしたことはわかりません。また、Doveは象徴として、平和、純血、柔和、愛情などを意味し、Pigeonはネズミのような汚いもの、と逆の意味にも使われているようです。
ドバトの語源は、神社仏閣に住み着いていたところから、「だうばと=どうばと(堂鳩)」「たうばと=とうばと(塔鳩)」から、と言うのが一般的に知られています。また、土鳩は河原鳩とも呼ばれています。
広い意味でのドバトは、中央アジア・アフリカ・ヨーロッパ・中国などに広く分布している野生のカワラバトColunba livaの飼養品種の総称で、二〇〇品種以上が知られています。この「ドバト」Colunba liva var. domesticaはその目的から分けると、通信・運搬・競技などの目的で飼育される伝書鳩、食用に供されるための食用鳩、姿形や声および曲芸などの目的で飼育される観賞用鳩などがいます。
ドバトは野良猫や野良犬と同じように考えられており、一度家畜化されたものが再び野生化(二次野生)したもので野良鳩とも呼ばれています。また、ドバトが野生の種類ではない理由として、ドバトの原種であるカワラバトと異なる外観を持っているほど家禽化されています。
ドバトの特徴
ドバトの特徴 三和公園で群れるドバト
通常、野生のカワラバトの羽色は全体に青灰色で首から胸にかけて金属光沢があり、鼻瘤が白っぽく目立ち、腰は白く、翼に二本の黒い線があり、翼の下面が白い。また、尾の縁には黒い帯があります。
一方、ドバトでは上記の特徴を持った羽色のものから、全身黒色、赤褐色、白色に近いものなど、様々な色彩を持った個体がいます。
宮沢賢治の歌の一つに、
山鳩のひとむれ白くかがやきてひるがえりゆく紺碧のそら
があります。山鳩と言えば通常はキジバトを指しますが、この山鳩はキジバトではなくドバトを歌ったものと思われます。「白くかがやきてひるがえりゆく」の白くひるがえりとは、ドバトの翼の裏が全体に白く、特に下から見ると白く見える所から歌ったものと思われます(キジバトの羽裏は翼の部分は暗褐色で肩羽の付け根部分付近が大きく白い)。また、キジバトは通常は大きな群れになることはありません。
ドバトの歴史的背景
ドバトは紀元前三千年前に既にエジプトでカワラバトが飼育されていた記録があると言われています。しかも長距離飛行も可能なことから、通信手段として古くから家禽化されてきました。国内での渡来は一説には、大和・飛鳥時代に渡来していたと言われています。神奈川県の江ノ島の洞窟内にドバトが生息していた記録があり、一五四二年に相模国甘縄城主して地位を継承し、武蔵国河越城主も兼ねた北条綱成(文献2)が、一五五一年にこの洞窟内に生息しているドバトの殺生禁断の掟を出しています。江戸時代には、当時の商業の中心地であった京阪神地方の一部で飼育され通信にも利用されていました。江戸時代後期には大阪の米商人、相模屋又市が米相場の情報伝達にハトを利用し、捕縛されたという記録が残っています(文献4)。明治以降の鳥類研究者の鳥類目録には、神社仏閣以外の場所での観察報告が知られています。伝書鳩は明治以降、特に大正時代から通信(軍用鳩)の目的で飼育されだし、本格的に色々な品種の系統が輸入され始めました。一九三三年当時の民間の飼育羽数は新聞社・学校・官庁などで、二万八千羽程度であったようです。一方、神社仏閣を中心に生活していたドバトは、東京近郊の場合積極的に餌付けや巣箱の架設が施されていました。戦後は、競技を主目的とした伝書鳩の飼育ブームが起こり、一九五四年には約十万羽が飼育されていたようです。また、イギリス軍は第一次世界大戦で約十万羽、第二次世界大戦に至っては五十万羽以上もの軍用鳩を用いたという記録があります。
日本におけるドバトの増加
ドバトが日本で増加する大きな理由は二つあります。一つは餌を与える習慣です。昔から鳩は「八幡様のハト」あるいは「平和の象徴」等が示すように、人々によって愛護されてきました。今では、公園などで鳩に餌を与えることが当たり前のように行われていますが、繁殖能力が高いドバトは栄養状態が恵まれると年に何回も繁殖を繰り返し、増加を続けます。余談ですが、二〇〇八年一月、南米の国エクアドルの首都であるキトの町を訪れました。キトの町は標高二八〇〇㍍前後の高地にあります。キトの中心街にはサンフランチェスコ教会の大聖堂がありますが、大聖堂前の広場に数多くのドバトが集まり、観光客や地元の人たちが餌を与えていました。このように、ドバトは世界中に勢力を拡げています。ドバトが直接、人の手から餌をもらうような習慣は、とてもほほえましく見えます。愛鳥思想が進んで、人と鳥との触れ合いの現れでもありますが、人畜共通感染症などの問題もあります。
もう一つの理由はレース鳩です。レース鳩は鳩レースを行うために多くの鳩を飼育し、良い鳩を育てるために訓練やレースを行いますが、その時に鳩が野生化する可能性が高いのです。特に、長距離のレースにおいては、ハヤブサやオオタカ等の猛禽類による急襲により、コースを外れてレースを脱落する鳩が多発し、それが野生化する例が多々あります。全国的にドバトが増加している現状が、その裏付けになっています。
ドバトによる被害
都市部で多く繁殖している地域では、歴史的建造物の汚損やマンション・駅構内などでは深刻です。例えば、長野県善光寺の境内や上野公園、浅草の観音様等では多くのドバトが群れています。浅草の観音様とハトとの関わりは古く、大正時代には既に露天商が豆を売っていたようです。筆者が三十年ほど前に母と浅草へ行った時に「幼い頃に下町に住んでいたので浅草にきて、鳩に豆を与えた」と懐かしそうに話してくれました。露天商の小屋は、雷門から仲見世を過ぎて左側の五重塔の近くにあり、地元の人が敷地を借りて、戦後間もない頃に建てました。一袋一〇〇円、トウモロコシが混ざった配合粒餌です。隣には「鳩ポッポの歌碑」も建てられました。
鳩ぽっぽ はとぽっぽ
ぽっぽ ぽっぽと飛んでいけ
お寺の屋根からおりてこい
豆をやるから みな食べよ
たべてもすぐに かえらずに
ぽっぽぽっぽとないて遊べ
この「鳩ぽっぽ」の歌は口語体童謡の作詞家である「東くめ」が、浅草寺の境内で鳩と戯れる子供達をモデルにして一九〇一年に発表しました。この他に、作者不詳の童謡で知られる「ぽっぽっぽ はとぽっぽ」などのように、昔から人と深い関わりを持ってきました。
その一方で、公園、駅、商業施設などでの糞公害は多く、糞をかけられたという苦情も珍しくありません。こうした場所では注意書きを掲示したり、なんらかの防止策がとられますが、現状では被害を完全に食い止めるのは困難です。また、放置されて乾燥した糞は、金属の腐食を促進させる作用や人畜共通感染症の問題も抱えています。子供達が遊んでいる砂場でも、ドバトの問題が発生しています。例えば、大阪市淀川区にある東三国公園では、子供達の遊び場である砂場では、「ハトの羽が散乱し、砂浴びの痕跡が見受けられる(中略)公園前の歩道も鳩の糞で真っ白になっています。近くで子供を遊ばせているお母さんは、砂場を見てなにか不潔な感じがするので、砂場で子供を遊ばせることはないと言います(ザ・淀川(タウン誌)三二〇号)。」この様な場所が増加しています。なおドバトは餌が豊富だと個体数が増加するため、餌やりを制限することによりドバトの個体数を抑制しようという動きが各地で見られ、いくつかの自治体では条例による餌やりの規制を目指す動きがあります。広島市では餌やりの自粛を呼びかけることにより、個体数を最盛期の三分の一にまで減少させることに成功しています。広島の平和記念公園では一九九四年から売店でのハト餌の販売が中止され、四年間で三分の一の千八百羽に減じたと言います。上野公園では噴水広場付近でポップコーンが販売されています。一方、靖国神社では二〇〇三年に豆の自動販売機を撤去した代わりに、神社の鳩舎で純白の鳩を飼育しています。
「餌やり防止キャンペーン」
東京都では、ドバトのふん害に関する苦情が年間五百~六百件ほどあり、都が許可を出し、民間業者が年間千羽ほど有害鳥獣駆除による捕獲をしています。都は、餌やりがドバトの増加を招くという調査結果を基に、二〇〇五年には都内で最も多い上野公園で一年間「餌やり防止キャンペーン」を行いました。
キャンペーン(モデル実験)の内容
ハトにエサをあげないで!二〇〇四年十二月現在上野公園のハトは約二千羽!
1 場所 都立上野恩賜公園(動物園前広場周辺)
2 期間 平成十七年一月二十二日(土)から一年間
第一回キャンペーン 平成十七年一月二十二日(土)
3 方法 来園者を対象に鳥獣保護員等がチラシを配布し、
エサやり防止を呼びかける。
会場には一年間キャンペーンを知らせる横断幕等を設置
三ヶ月毎にハトの生息数調査を実施 一年後、エサやりを
なくしたことによる生息数の変化を確認
4 キャンペーンのねらいとのその後の展開
実験を通じて、エサを与える行為がハトの増加を招く原
因であることを実証します。
実験結果をもとに、ハトへのエサやりをなくすよう都民
に広く呼びかけます。
その結果、当初二千羽近くいたドバトは、半年間で五百羽まで減り、その後は横ばいが続いているそうです。東京都環境局が二〇〇五年一月十三日に発表した計画は、東京都には、ドバトに関する苦情相談が年間五百件以上寄せられています。その大部分は、マンションのベランダ等に住み着いたドバトの糞害に関するものや、エサを与える人の問題です。ドバトの糞は、美観を損ねるばかりでなく、様々な健康被害も発生させます。人間と動物との間に共通する伝染病や、動物によって媒介される人間の疾病は少なくありません。特に飼育されている動物などは、人間との直接の接触の機会が多いため感染する機会も多くなります。特に、野生の鳥類に比べれば、ドバトも人間との接触の機会が比較的多いので、人間に対して疾病をもたらす可能性が少なからずあると考えられます。ドバトだけに限ったことではなく、他の鳥類についても同様の可能性があります。例えば、食中毒の原因となるサルモネラ菌、呼吸器感染症の原因となるオウム病あるいはカビの一種クリプトコッカス・ネオホルマンスが堆積して乾燥した糞の中で繁殖し、免疫力の落ちた
人間が吸い込むとクリプトコッカス症にかかる場合、などがありますというもので、「ハトに餌をあげないで」というパンフレットを二〇〇一年に環境省が全国に約十万部を配布しました。
鳩ヶ谷市内でも三ツ和公園を初めとして主な公園の入り口などに「ハトに餌を与えないでください」の表示がされていますが、餌を与える人は後を絶ちません。芝川の天神橋付近でもユリカモメに餌を与える人達がいます。ユリカモメにまじり、三十羽前後のドバトが毎日水門の屋根に止まって待っています。ドバトは餌を与えなければ、雑草や樹木の種子や芽などを自力で食べるので、これが本来の野生の姿なのです。 ドバトの被害に関しては、色々と報告されていますが、ドバトとはいえ簡単に駆除をする事は出来ません。ハトの駆除には都道府県知事の鳥獣捕獲許可が必要となります。従って、繁殖中の巣・雛および卵の撤去も法に触れますので、ベランダなどにドバトが営巣したからと言って勝手に処理することは出来ません。また、巣を取り除いたとしても、帰巣本能が強く再び元の場所に営巣する可能性があります。ドバトは、人間生活と密着することで天敵も近寄りがたくなっています。ドバトは営巣場所があまりにも人間に近いため天敵であるカラスもうかつに近寄ることが出来ません。最近のカラスはゴミという餌が手軽に入手出来ることから、ドバトを捕まえることも少なくなっているものと思われます。カラスがドバトを捕食する事があるのかと思う人が多いと思いますが、カラスは猛禽類に匹敵する野鳥です。
筆者が観察した例では、二〇〇七年十二月八日に群馬県の板倉町にミヤマガラスを観察に出かけたところ、稲刈り後の田圃に千羽以上の群れが集まり、その中にはコクマルガラスという日本で一番小型のカラスが五十羽ほど混ざっていました。しばらく見ていると、十数羽のミヤマガラスとトビの群が急降下して、何かを襲っていました。近づいて見ると三羽のミヤマガラスがドバトを襲っていました。ドバトは何とか逃れようと羽ばたきながら逃げようとしていましたが、頭部と背部を集中的に狙われて数分で息絶えました。ミヤマガラスとドバトの攻防は激しいものでしたが、遺骸はあっという間に骨と羽毛のみになり、折からの風に羽毛が空中に舞っているのが哀れでした。数年前には、千葉県船橋市にある谷津干潟でハシブトガラス二羽がコガモを襲って食べているところを目撃しました。コガモは必死に葦原に逃げ込もうとしましたが、二羽のカラスが前後から翼と足を銜えて引き戻し、頭を突いて殺してしまいました。このように、カラスはオオタカやハヤブサなどと同じように猛禽類的存在となっており、ドバトが餌食になることがあります。
その一方で、農薬入りの餌を与えられたと疑われるドバトの大量死事件が各地で報告されています。松本市ではカーバメイト系殺虫剤であるメソミルを摂取したことによって三十三羽のドバトが死亡(二〇〇一年十一月七日・毎日新聞)、塩尻市では二〇〇五年一月十九日から二十一日迄の三日間で二十六羽死亡、東京都の芦花公園で発生(二〇〇六年四月十三日・東京新聞)、埼玉県内でも北朝霞、他でも同様の報告例があります。駆除の方法如何では、動物愛護法違反にもみなされるため、無闇な駆除は勧められません。昨年から今年にかけて、殺虫剤のジクロルポスやメタミドホスなどが検出された「ギョウザ事件」が世論を騒がせましたが、農薬の安易な使用は行うべきではありません。
ドバトによる被害の防止について
昭和五六年三月二日に交付された「環自鳥三十二号」の都道府県知事あて環境庁自然保護局長通達によれば、
ドバトを狩猟鳥獣に加えることについては、昭和五四年九月二八日自然環境保全審議会に諮問し、慎重に審議が行われてきたところであるが(中略)ドバトとレース鳩等の飼鳩との判別が必ずしも容易でないこと等の問題があるので、当面、ドバトを狩猟鳥獣に加えることは見合わせることとした。 しかし、都市部をはじめ全国各地に増大しているドバトによる被害の状況からみて、これらの防止を適切に図るためには広範な対策を実施する必要があり、関係各機関の協力が不可欠であるため、別添の「ドバト問題に関する環境庁の対応策及び関係省庁及び関係団体に対して要望する事項」により、関係省庁及び関係団体に対して、対策の実施を要望したところである。
「ついては、貴職におかれても、関係機関との連携のもとに、左記事項について適切に対処されるよう、特段の御配慮をお願いする。
一 市町村等の協力を得て、ドバトの生息状況及びドバトによる被害の実態を一般に広く周知せしめ、とくに飼養に際しては責任をもつて管理するよう、また、被害発生地域又はそのおそれのある地域においては、みだりに給餌を行わない等の啓蒙を行うこと。
二 被害発生地域又はそのおそれのある地域において、市町村、農業関係団体、食糧倉庫管理者の協力を得て積極的に駆除を実施すること。
三 被害発生地域又はそのおそれのある地域の都市公園管理者食糧倉庫管理者、社寺の協力を得て、被害防除策を実施すること。
四 都市地域での有効な捕獲方法の研究、開発を行うこと。」
この様な文書が交付されています。
野鳥の餌付け問題
二〇〇七年十二月十四日、お昼のニュースを見ていたところ、不忍池に飛来するカモ類が、餌付けによって脂肪太りをしてメタボになっているというニュースが流れました。その内容を抜粋すると、「近年、カモの肥満が問題化している。日本で越冬中に丸々と太り、飛ぶ能力やエサを捕る能力が落ちて、繁殖地のシベリアにたどり着けずに死ぬ恐れがあるのだ。動きが鈍く警戒心も薄れて、ネコに食べられるカモも多く見られるようになった」といい、東京都は八日、野鳥へのエサやり防止キャンペーンを始めました。「エサをやる姿は一見ほほえましいですが、実は生態系を壊しています」。都の担当者はこう訴えています。
東京・上野の不忍池には毎年十一月頃、多くの渡り鳥が越冬のために飛来。今年もオナガガモやキンクロハジロなど、約千百羽を確認した。ところが、いとおしむあまり、人がエサを与えてしまうことが問題になっている。「パンなどを食べて太り過ぎると、春に北へ帰れなくなるんです」と担当者。カモにも脱メタボが必要とこの日、都の職員十二人が不忍池周辺でエサをやっている人に声をかけたり、チラシを配るなどして「野鳥にエサをやらず、自然のまま見守って」と訴えた。
エサの食べ過ぎがもとで、交雑の問題も起きています。北へ渡るのが遅れ、繁殖時期を日本で迎えてしまったために、土着のカルガモと混ざった渡り鳥も観察されるようになったのだ。
本来は生息しないはずの鳥も集まっている。訪れていた四十代の女性は「ここ数年でユリカモメが増えた。エサを奪おうと、カモを襲っていることも多いです」と心配そうに話す。
都では来年三月末まで呼びかけを続けるが、「エサやりを楽しみにしている人も多い」とのことで、職員が遠ざかると再びエサをやり始める人もみられた。エサをもらっても、カモは本当のところ困っているのかもしれない(産経新聞二〇〇七年十二月九日)。その後この問題は多くのメディアで取り上げられ、読売新聞二〇〇七年十二月二十二日では専門家のコメントなども掲載されました。
野鳥への餌やりの問題については、各方面で取りざたされていますが、山階鳥類研究所の初代所長であった山階芳麿博士は、
「人類の文明が進むに従って鳥は必然的に滅びる運命にあるように思われるかも知れぬ。実際、文明が進むと鳥が住みにくくなるのは確かだ。だが、ちょっと待って頂きたい。鳥を滅ぼすような文明は、本当の文明だろうか。本当の文明は鳥も人も栄えるようなものでなければならない。そして、そのような文明はすでに欧米の多数の国で栄えているのだ。(中略)日本で一番古い鳥類保護の制度は、桓武天皇(西暦七三七―八〇七年)の頃に出た天皇遊猟のためのキジの保護区(禁野)であったらしい。このような権力者の狩猟地の保護は、日本では徳川時代の末まで続いたし、英国などではいまも貴族の領地で継続されています。(中略)欧米の公園では、一歩公園にはいると、野生のマガモが羽音も高く飛んでくる。すると近くにいる子供はきっと、ポケットからピーナッツかパンくずを投げてあたえるだろう。バッキンガム宮殿の付近では、よくマガモの雌が一列縦隊に列んだ雛を連れて道を横切る。すると交通巡査はさっと手を挙げて車や人を止める。人々は微笑みながらマガモの母子連れの行列を見送る。この様に野鳥が多いのは、文明国には共通のことだという。」(文献五)
つい四十年ほど前までは、日本の自然も豊かであったが、その一方で開発が進んで野鳥の住めるような環境が激減してしまいました。
ハクチョウ類やカモ類の餌付けとともに、ドバトの餌付けも今では日本国中当たり前のように行われています。愛鳥思想が国民の間に広まったことは大変良いことではありますが、必要以上の餌付けは、野鳥の生態系のみならず人の生活にも影響を及ぼすようになっています。ドバトの餌付けを通して、見直す時期が来ているのではないでしょうか。「平和の象徴」が「有害鳥獣駆除」の対象になるようになりました。世界的な食糧難が大きく報道されるようになって、いずれはドバトに餌を与える事も出来なくなる時代が来るのではないでしょうか。
参考文献
(一)大日本猟友会(二〇〇六)狩猟読本
(二)岡谷繁実(一九六七)歴史選書・定本名将言行録1
(三)上野修一郎(一九六九)伝書鳩の飼い方と訓練の仕方
(四)山階鳥類研究所(一九七九)ドバト害防除に関する基礎的研究
(五)山階芳麿(一九六七)鳥の減る国増える国・欧米鳥行脚、日本鳥類保護連盟