蝶から見た鳩ヶ谷市の温暖化 藤波 不二雄 ナガサキアゲハ ナガサキアゲハ (左 ♀、右 ♂)二〇〇七年七月三日の朝日新聞に「亜熱帯のチョウ県内で定着確認」という見出しで、川口市の小学六年生とさいたま市の中学一年生がナガサキアゲハの標本を手にした記事が掲載されました。 ナガサキアゲハはアゲハチョウ科のクロアゲハによく似た大型の黒いチョウです。ナガサキアゲハの種名Papilio memnon(メムノーン)と言うのは、スウェーデンの生物学者であるリンネの命名によるものでギリシャ神話に由来するものです。リンネが付けたチョウの種名は全部で一九二種もあるそうですが、ナガサキアゲハは、「曙の戦士」といわれている「エーオース」と、「ティートノス」との子供で、のちにトロイアを支援して戦った勇ましい戦士で「エチオピア=王様」になったmemnon(メムノーン)に由来していると言われています。 雄の羽は純黒に近く、青白鱗が外側半分にうすく散布されています。雌は前翅基部に三角形状に赤い紋があり、後翅には白色の大きな紋があります。 ナガサキアゲハは、東洋の熱帯アジアに広く分布し、日本はその分布地域の北限と言われていました。 日本での分布は、一九四〇年代までは九州地方を中心に山口県や愛媛県などより南に分布していましたが、一九四五年頃から四国の各地でも記録されるようになりました。 その後、一九七〇年代から一九八〇年代にかけて関西地方でも観察されるようになりました。 埼玉県でのナガサキアゲハの記録は、二〇〇〇年八月の北本市の記録に始まり、二〇〇六年七月十四日浦和学院高校、七月二十八日さいたま市見沼区の片柳中学校付近の雑木林、八月四日川口市東内野、九月二十一日さいたま市寺山、等での観察報告があり、筆者も九月十九、二十四日川口見沼自然の家、二〇〇七年六月二十七日川口見沼自然の家、七月十二日に川口市西新井宿(グリ―ンセンター近くの雑木林)等で観察をしました。前述の新聞記事によれば、さいたま市と川口市内で、二〇〇六年には少なくとも二十四匹が採集されています。 一方、鳩ヶ谷市内では、筆者が二〇〇六年九月二十四日に芝川と旧芝川の合流点から天神橋付近の芝川の川面を飛んでいる姿を確認したのが市内初記録です。今年はまだ確認されていません。 ナガサキアゲハの幼虫の食草はミカン科の植物が主でカラタチ、キンカン、ユズなどです。川口見沼自然の家の庭では、昨年・今年とユズの木の周辺で採集・観察されています。このユズの木を中心に「蝶の道」が出来ているようで、ナガサキアゲハやクロアゲハなどのアゲハチョウの仲間がよく飛来します。鳩ヶ谷市内でも民家の庭で柑橘類を植栽しているのを見かけますので、これから増加する可能性があります。成蝶はツツジ・ノウゼンカズラ・ブッソウゲあるいはクサギなどの花の吸蜜に訪れます。 ツマグロヒョウモン ツマグロヒョウモン(♀) ツマグロヒョウモン(♂)
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ツマグロヒョウモンは漢字で書くと「褄黒豹紋」と書きます。このチョウは雌の前羽の先が、一見黒く見える所から名前が付けられています。ヒョウモンチョウの仲間は、殆どがオレンジ色の地に黒い豹紋を散らした羽を持っています。 以前は、主として南西諸島から九州地方に分布する蝶でした。 筆者は一九八五年六月から一九九五年一月まで大阪に住んでいましたが、この間京都府・滋賀県(琵琶湖の周辺)・大阪府(淀川河川敷)などで時々観察・写真撮影をすることが出来ました。 埼玉県では、二〇〇五年七月二十四日さいたま市岩槻区、八月十五日鶴ヶ島市上新田、九月二十六日北葛飾郡庄和町、九月二十八日越生自然休養センター、九月三十日芝川第一調節池、十月二十一日春日部市西金野井、十月二十三日川口市自然の家(雄・雌各一)などで観察されています。 鳩ヶ谷市内での記録は、二〇〇六年八月十七日鳩ヶ谷小学校裏門近くの民家のプランターに飛来していた雌を観察したのが最初です。 八月二十日には桜町六丁目の自宅庭に雌一匹が飛来しました。九月二十三日には桜町六丁目で民家数軒の花壇の間を雄二、雌一匹が飛び回っていました。以後は十月四日桜町六丁目、十月十日里のポンプ場付近、天神橋付近および中井公園付近の芝川、十月十二日から十月三十日まで桜町六丁目の我が家の庭に飛来しました。 二〇〇七年に入ってからは、六月二十一日湧き水公園、六月二十三日桜町六丁目、七月五日里地区で雌一匹、坂下町三丁目で雄雌各一匹、本町四丁目で雌一匹、八月五日本町一丁目雄一匹、等を観察しました。少なくとも筆者は二〇〇五年までは鳩ヶ谷市内では全く観察していませんでしたので、二〇〇六年から鳩ヶ谷市内で定着したものと思われます。 この蝶の幼虫の食草はスミレの仲間ですが、パンジー(三色スミレ)が民家のプランターや庭などに多く栽培されているために、あっという間に鳩ヶ谷市内全域に広がり定着しました。蛹は褐色で三㎝くらいの大きさで腹側に一㎜ほどの金色の突起が並んでいます。その突起が光の加減でオパールのように輝くことがあります。 考えよう地球に優しい街作り ナガサキアゲハとツマグロヒョウモンは温暖化の影響を受けて分布を拡大しており、温暖化の指標とも言われています。時を同じくして市内で観察されるようになった二種類の蝶ですが、ナガサキアゲハの確認は一例のみ、一方のツマグロヒョウモンは市内全域に分布を広げています。この違いは、ナガサキアゲハに比べ、ツマグロヒョウモンは民家で多く栽培されているパンジーを食草としている所から必然的に分布を拡大しているものと考えられます。 以前から生息していた生物が消えていく中で、今までに観察されたことのない生物が確認されたことは、大変喜ばしいことなのですが、一方で困ったことでもあります。 南方系の生物が分布域を広げていけるということはそれだけ市内の環境にも大きな変化があったと言うことです。 鳩ヶ谷市内の温暖化は、冬の風物一つをみてもかなり変化が解ると思います。筆者が小学校三年生の頃、桜町の鳩ヶ谷浄水場のある場所は権現山と呼ばれた里山で雑木林が広がっていました。その頃は、積雪があると学校の体育の授業時間に雪遊びと称して、雪合戦や斜面林では「お尻スキー」を行うほどの積雪がありました。土のある場所には霜柱があり、日中に霜柱が解けると、靴が重くなるほど土が付いてきたり、民家の軒にはツララが下がっている風景が見られました。近年の冬に積雪があることは一冬に数回、それも大した積雪量もありません。オーバーやダウンのコートを着用する人の姿も少なくなりました。前述したように、二〇〇六年の十一月近くでもツマグロヒョウモンが観察されました。成虫で冬越しをする蝶は別として、普通は春から秋にかけて発生します。十月過ぎてから羽化して市内を飛んでいることが出来るのは気温が高くなったためで、それだけ温暖化が進んでいるわけです。 市内の自然や農耕地が減少し、マンションと道路建設が進行し、歴史ある宿場町として栄えた鳩ヶ谷市も東京の街並みと殆ど変わらないような街になってきました。大型マンションが建てば人口が増加し街の活性化が出来るとの見方もありますが、その一方で大きなマンションが増加するとクーラーや大型冷蔵庫などの電気製品が増え、膨大なエネルギーを消費し、それに伴ってCO2ガスの発生も増加します。従って、市内のヒートアイランド現象がおこりやすくなります。 鳩ヶ谷市の「開発事業に係わる環境配慮制度」によれば、第十五条で、市は、緑(樹林、樹木、農地、草花等をいう)が有する環境の保全における機能を重視し、人と自然の豊かなふれあいを確保するため、緑地の保全および推進に措置を講ずるものとする、と記載されています。また、マンション等の建築に当たっては、環境計画書が提出されることになっています。その計画書の中には、ある一定の緑地の確保、あるいは壁面緑化・屋上緑化等の計画書などが添付される等になっていますが、緑化の施行は義務的なものではなく、大型マンションの建設されても緑地の確保は殆どが、お飾り的な緑地ですまされています。農地や自然環境が消失した鳩ヶ谷市内は発展と言う名の元に、破滅へのブレーキが利かなくなっています。 現在、地球的規模で温暖化が進行しつつある現象は、自然界にある様々な生物の生活様式に多大な影響を与えています。日本国内でも温暖化による生物への影響がマスコミでも頻繁に報道されるようになってきました。 三年前に埼玉県では埼玉県地球温暖化防止活動センターが大宮ソニックシテイビル内に設置されました。それと共に、地球温暖化防止推進委員を各市町村に配置しています。鳩ヶ谷市では現在三名が活動を行っていますが、六万都市と言われる鳩ヶ谷市の人口で三名の推進員は少なすぎます。一人でも多くの人が身近な環境の保護や地球温暖化の防止に向けて努力をしていかなければならない状況が現実問題としておきています。京都議定書が批准されて、一九九〇年当時の数値から六%を削減目標に上げていましたが、実際にはその数値を大幅に上回り、削減が難しくなっています。安倍首相は「美しい星五十」を提唱し、二〇五〇年度には世界のCO2排出量を現状から半減させる長期目標を打ち出しました。ハイゲンダム・サミットはこの構想をたたき台にして「各国は二〇五〇年までの半減を真剣に検討する」ことで合意されましたが、欧州連合では二〇五〇年迄に一九九〇年比で半減以上の削減を目指すべきだとして、数値に基づいた新たな削減義務を主張しています。日本においては、具体的には一九九〇年を基準年として二〇〇八年から二〇一二年の五年間の間に目的の排出量を削減する事になっていますが、二〇五〇年まで先延ばしにすると言うことは、殆ど削減の可能性がないことを示唆しているようなものです。この様な計画を行っている人たちは、三〇年後には八〇才から九〇才、後のことは若い人に責任をとってもらいますといっているようなものです。 身の回りで確実に起きている生態系の変化を受け止めて、真剣に考え、取り組んでいかなければならないのではないかと思います。取り返しのつかない破滅の手前まで来ないと人間は危機感を感じないのかもしれません。