縦書き by 涅槃 『鳩ヶ谷博物誌』へ 『郷土はとがや』 第59号 平成19年5月18日
鳩ヶ谷の生物6
県の鳥「シラコバト」に
明日はあるか(2)
藤波不二雄
シラコバトの生息地
今から約四〇年前シラコバトの分布は越谷・春日部・岩槻・三郷・吉川・松伏・庄和の七市町村で生息が確認されているに過ぎませんでした(黒田一九六九)。それから約十年後の一九八〇年初期の調査では二十八市町村で記録されました(埼玉県教育委員会一九八二)。その時点では連続した分布地として従来からの生息地であった越谷を中心とした県南東部の十八市町に分布、飛び地的な記録としては県中央部でも記録されていました。しかしながら、その後二十五年以上に亘ってシラコバトの分布状況に関する報告例はなく、特に二〇〇〇年代に入ってからの分布に関する報告はありません。
そこで、筆者が郷土はとがや(五十八号)で記述した一九七五年から二〇〇六年までの観察記録を元に地形図に分布状況を示しました(図1)。この分布図はNPO法人バード・リサーチが作成した野鳥データ・ベースのソフトを利用して作成しました。
ランドサット背景図
図1 シラコバトの分布状況(1975~2006年)
(クリックで拡大します)
この地形図はランドサットを利用したものですが、シラコバトの分布域は埼玉県を中心として一都五県に広がり、利根川と荒川に挟まれた大宮台地を除く荒川低地および春日部低地を中心とした平野部に分布していることがわかります。特に古利根川・元荒川・綾瀬川および見沼田圃を挟んで流れる東・西縁見沼代用水沿いの市町村を中心に分布を拡大しています。埼玉東南部のこの地域は耕作地帯であると共に、養鶏場や養豚場などが散在しています。地形図に示したシラコバトの記録を見ると、かなり広い範囲に分布が拡大している様に見えますが、実際には茨城県の守谷市あるいは柏市などでは一時的に増加しましたが、一九九五年以降は減少しています。埼玉県内ではJR武蔵野線以南に位置する鳩ヶ谷市では一九七八年まで生息し、川口市では一九九一年を最後に姿を見かけなくなりました。
JR武蔵野線以北では、見沼田圃を中心としたさいたま市ではサギ山公園・見沼自然公園あるいは大宮第二公園などの公園整備が行われて生息環境は整ったように見えましたが一九九二年を最後に全く姿を見ることが出来なくなりました。現在確実に姿を見ることが出来る地域は前述した如く岩槻市以北の東・西縁見沼代用水沿いの市町村に個体数は少ないものの生息が確認されています。これらの地域には現在も耕作地帯が広がっています。
生息環境とシラコバトの関係
一九七九年四月から一九八〇年一月にかけて三ヶ月間隔で越谷市周辺に生息するシラコバトの分布調査を行いました。この調査はシラコバトの保護を考えるために、天然記念物「越ヶ谷のシラコバト」保護対策協議会が設置され、保護対策要綱を策定することになり、基礎資料を得る事を目的にシラコバトの生息域環境、分布、生態、農作物の被害状況などについて総合的な調査の一環として行いました。実際の調査に当たっては、埼玉県文化財保護課の依頼により、当時の財団法人日本野鳥の会・埼玉県支部の会員が協力して行いました。
調査の方法は、越谷市を中心に、松伏町・吉川町・川口市・草加市・三郷市に亘る地域を、二万五千分の一地形図を用いて縦横それぞれ四等分した区画を作成し、ラインセンサス法により区画内に生息する野鳥の調査を行いました。そして、各センサスコースの環境を市街地・準市街地・複合地・準農耕地・農耕地等に区分しました。
図2 シラコバトの個体数と養鶏場との関係
その結果、シラコバトの個体数と環境とが深く結びついていることが解りました。土地利用の状況を見ると、養鶏場の数や緑の多い(屋敷林)住宅地、畑、河川の分布が生息数の多い地域とかなり一致していました。
これらの諸因子のうち数量化が易しい養鶏場と生息数の関係について統計的に相関関係を検討しました。この当時は、現在のように各家庭にホーム・コンピュータが普及していない時代であり膨大なデータをどう解析するか迷っていましたが、運の良いことに筆者が勤務していた会社で解析課という部門を立ち上げ、IBMの大型コンピューターが導入されました。そこの責任者がコンピューターの利用法を検討するために、各種のデータを集めていました。そこで、調査で得たデータの解析を依頼をして、統計的にシラコバトと養鶏場を中心とした環境について相関関係を検討した結果図2に示すように、シラコバトと養鶏場との間には、明らかな相関関係があることが解りました。なお、図2は作成した相関図をもとに解りやすくするためグラフ化したものです。調査区域および隣接区域内に養鶏場が多い地域では、シラコバトの個体数が多く観察されました。そして、そこではシラコバトだけでなくキジバトやドバトなども観察されました。
シラコバトの食性について
シラコバトによる農作物の被害の実態を調査するために、シラコバトが生息している場所で何を食べているかを確認しようとしましたが、実際に野外で観察していても何を食べているのか判断がつきませんでした。鳥類の食性の分析は多くの場合、鳥を捕殺して胃の内容物を分析するか、あるいはフクロウやモズなどのように口からはき出すペリット(不消化物)の分析によって調査が行われていますが、天然記念物のような鳥については捕殺することも出来ないため、排泄便の内容物を分析する事を思いつき検討しました。
当時私は某社の研究所に勤務しており、日常的に光学顕微鏡を使った仕事をしていました。私が使用していた顕微鏡には顕微鏡撮影装置一式がセットされており、動物の寄生虫検査用の器具類が全てそろっていたことから、糞分析を行う条件がそろっていました。
越谷市周辺で栽培されている穀類や豆類の澱粉類および現地へ出かけて野生植物、特にイネ科植物の種子を採集して、その澱粉などの顕微鏡写真を撮影し、参考書を作成し糞分析を行いました。
養鶏場周辺や野外調査時に塒などでシラコバトを見つけた場所で排泄便を拾得し、フイルムの空き缶に70%アルコールを入れて個別に保存したものを茶こしのような細かいメッシュの網を使用して糞を濾過した後、遠心分離器を用いて沈査と浮遊物に分離し、プレパラート(標本)を何枚も作製して鏡検しました。採集した糞の重量は乾燥重量で平均十五㎎で、糞の色は白茶色から黒色まで様々でした。
人間やその他のほ乳類は尿と便の排泄器官が尿道と肛門に別れていますが、鳥類の場合は総排泄口という器官から排泄されるため、尿と便が一緒に排泄されます。従って排泄された便は多くの場合、乾燥すると泌尿器系から排泄された成分により表面が白色になります。これは燐酸マグネシウムやリン酸カルシウムなどの結晶が乾燥して白くなるもので、水に溶かして顕微鏡で見ると各種の結晶が観察できます。これらの結晶と澱粉とを区別するために、標本のカバーグラスの隙間からヨードチンキを一滴染みこませて澱粉を染色しました。そうすることにより他の夾雑物との識別が容易になりました。
この様にして糞分析を行うことにより、シラコバトの食性の一端を垣間見ることが可能となりました。
その結果、養鶏場周辺で採取した糞では、穀類が約七割、野草および蔬菜類約三割、昆虫類一割などでした。そのうち穀類の内訳は、トウモロコシ、マイロ(コウリャン)、小麦、大豆およびイネモミなど、野草や蔬菜類ではヒメジオン、ハコベの葉、イネ科植物の種子などでした。
一方、夏の塒で採取した糞では穀類が約二割で、野菜や蔬菜類が全体の七割を占め、コオニタビラコの葉やイネ科の植物が含まれていました。
冬の塒で採取した糞では、ほぼ夏の塒で採取したものとほぼ同様でしたが、野菜や蔬菜類の占める割合がさらに増加し九割を占めていました。その殆どがカヤツリグサ科やイネ科の植物でした。
この様にシラコバトは、生息場所により、また季節により餌の内容が異なります。実際に野外で観察していても何を食べているのかハッキリしませんが、糞を分析することによって食性が明らかになりました。
昔から歌われている童謡に「ハトポッポ」という歌があり、浅草の浅草寺には鳩ポッポの歌碑があります。
ポッポッポ 鳩ポッポ
豆がほしいか そらやるぞ
みんなでそろって食べにこい
と唱われていますが、浅草寺に群れている鳩はドバト(カワラバト)で、ポッポッポッとは鳴きません。声の主はおそらくシラコバトを唱ったものと思われますが、シラコバトは大豆よりも、もっと小さな餌を好んで食べているようです。シラコバトはドバトに比べ、体型が小型で嘴は細く小さいところから、大豆のように丸くて硬く大きなものよりも小型の餌を食べるほうが食べやすいものと思われます。
今後のシラコバトの生息環境は
天然記念物として指定された当時の越谷市や春日部市などは耕作地帯に屋敷林を中心とした農家が散在していたことにより、シラコバトにとって食と住の環境が整っていました。しかし、東京近郊という立地条件が災いして区画整理並びに耕地整理などが進行し、それに伴い宅地造成が始まりました。現在シラコバトが生息している地域の農耕地も開発の波が進行しています。特に、水田地帯は昔のような耕作を行っているところは珍しくなりました。現在はトラクターやコンバインなどの大型機械を駆使して作業を行っているため、狭い水田や曲がりくねった水田は作業がやりにくいために耕地整理によって、広く大きな水田が多く、農道も広くなりました。そして、耕地整理を行った水田では排水パイプにより水抜きが楽になりました。その結果、小さな水路では水が溢れてしまうためにコンクリートで固めた大きな排水溝が造られています。シラコバトは昔ながらの水田や畦などで採餌をしていました。また、冬期には農地のあちらこちらに脱穀した後の籾殻などが山積みされており、シラコバトにとっては重要な採餌場となっていました。近代化された農業もシラコバトにとって少なからず影響を与えているものと思われます。
筆者が時々観察に出かけるシラコバトの生息場所は、二つの小河川に挟まれた扇状地で、主に耕作地となっていますがダチョウなどの飼育場があり、一方の川土手には養鶏場があります。そしてその養鶏場の西側には中・高木の植木畑が屋敷林の形態をとり、シラコバトはそこで繁殖をし、ダチョウの飼育場を主な餌場としています。そこにはドバト、キジバト、ムクドリ、スズメなども飛来しダチョウのおこぼれに預かっています。また、川筋にはシラコバトの塒となる高木があり十一羽が生息しています。このような住環境と採餌場が一体化した環境は少なくなりつつあります。
昔ながらの屋敷林はシラコバトの営巣場所や塒としてだけでなく色々な生物の生息場所として一つの生態系が成り立っていました。
天然記念物に指定されたシラコバトは保護されましたが、生息環境を保全するための保護策までは考えられていませんでした。その事がシラコバトの減少の原因として挙げられます。近年はレッドデータブックと言うものが作成され、絶滅危惧種や希少種などが発見された場合、その生息場所を保護・保全しようとの動きが各地で試みられています。
そのような貴重な生物のみならず、景観として保全しようとしている地域もあります。
例えば、富山県西部に広がる砺波平野には数十㍍から数百㍍の間隔を置いて杉木立を中心にした屋敷林があります。
散在する農家が造り出す散居村と呼ばれており、その独特の景観は素晴らしいものです。人々は家屋を囲む木々に親しみを込めて「カイニョ」と呼んでいますが、カイニョの樹種は方角により異なっており、南側には冬に日差しが入るように落葉樹を植栽し、冷たい季節風が吹き付ける西側には松が立ち並び、台所のある北には湿気を嫌う竹、玄関がある東側には栗や柿、梅などの果樹が植えられています。屋敷林の恩恵は日除け、風よけだけでなく生物の住処としても貴重な場所となっています。杉の落ち葉は炊飯や風呂焚きの材料として、灰はカイニョや畑の肥料にされています。
現在、富山県や散居のある市では散居村のたたずまいを残すために屋敷林の枝打ち費用の助成や景観の大切さを知ってもらうために小学生などを対象にして勉強会などを開いています。「土地を売ってもカイニョは売るな」と先祖代々大切にされてきたカイニョは人々の知恵と心の豊かさを秘めた生活文化なのです。
この様に、昔からの景観をそのまま維持することによって地域の生態系を保護していくことが可能です。
平成一七年六月に「景観法」が施行されましたが、これまでの経済発展を背景にした開発進行により、地域の個性を示す景観の殆どが失われました。埼玉県では「田圃と都市が織りなす美しい景観」を目指して平成一八年三月「埼玉県景観アクションプラン」が策定されました。景観形成の目標として「自然や田圃からなる郷土の情景を守り、これまで培われてきた地域の歴史や文化を受け継ぎ、表情豊かな埼玉の景観を生かして県民・市町村との協働のもと誰もが住みたいと感じ、訪れることの魅力を享受し地域の絆を深め誇りに想う埼玉の美しい景観を創造する」となっています。その中での基本指針は、
① 地形を生かし水と緑に親しむ景観づくり
② 歴史と伝統が語られる景観づくり
③ 身近な生活環境を良くする景観づくり
④ 県民が主体となった景観づくり
⑤ 地域間の交流を進める景観づくり
等となっています。しかしこれらの計画も、先に策定された緑の基本計画や環境基本計画などが、正常に進捗していない状況を考えると難しいものがあります。本来、緑の基本計画も景観法も環境基本計画の中でしっかり計画され、進めていくべきものであります。幾重にも法律の網をかぶせることは良いことかもしれませんが、これらが個々に計画されているところに問題があるものと思われます。
地球温暖化が叫ばれてから久しくなりますが、「京都議定書」の目標を達するために二酸化炭素などの温室効果ガスの濃度削減を義務づける約束期間(二〇〇八~十二年)まで残り一年を切りました。しかし、地球温暖化はさらに加速し、今世紀中に抜き差しならぬ事態に至る可能性が高くなりました。環境省では「省エネ住宅の普及や省エネ家電への買い換えなどの促進」を国民に働きかけていますが、その一方で国や県では交通渋滞緩和のため、首都圏周辺の大規模な耕地や緑地を潰して高速道路を造り、交通の便を良くし、それに伴い県レベルでは大規模な工業団地の誘致など経済優先の為の施策が進められています。当然ここでも大規模な緑地の開発や耕地の埋め立てが行われて、本来温暖化防止のためには緑を増やすべきである事を考えると逆のことが行われています。遠い昔から関東地方に維持されてきた水田が広がっていた時代には考えられなかったことが起きています。
安倍内閣は「美しい日本」計画を打ち出しましたが、すでに関東近県はあまりにも都市化の波の影響を大きく受けました。まるで巨大津波に一掃されたように開発が優先し、自然景観が失われ二度と再生不可能な状況にまで追い込まれています。
永年に亘って農地と共に、人に寄り添って生きてきたシラコバトが安心して生息できる環境は着実に消える運命にあります。生息環境がなくなる事によって県のシンボル・バードであるシラコバトの姿が何時の日か埼玉県内では見られなくなる可能性があります。
謝辞
分布図の作成に当たってはNPO法人バードリサーチの神山和夫氏にご協力を頂きました。紙面をお借りしてお礼申し上げます。
参考文献
藤波不二雄(二〇〇六)シラコバトに明日はあるか(1)、郷土はとがや、鳩ヶ谷郷土史会会報、第五十八号
黒田長久(一九六九)シラコバトの個体数調査、山階鳥研報
黒田長久(一九六九)鳥類生態学、出版科学総合研究所
埼玉県教育委員会(一九八二)天然記念物緊急調査報告、越谷のシラコバト