縦書き by 涅槃 『鳩ヶ谷博物誌』へ 『郷土はとがや』 第64号 平成21年11月18日
川魚供養碑を見て感じたこと
藤波 不二雄
鳩ヶ谷市周辺の地域は河川や池沼が多いことから、昔からウナギ・ナマズ・フナなどの淡水魚を専門とする商いの料理屋が栄えていました。
埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅を下車して駅前の国道一二二号線(岩槻街道)を横断すると東縁見沼代用水の流れにぶつかります。用水路に掛かった北谷橋を渡って左手の川沿いに建っている建物「竹江」の裏手に、こじんまりとした囲いがあり、その中に小さな「魚供養碑」が建っているのを知っている方も多いと思います。この供養碑には昭和五十四年三月吉日と刻印されており、ウナギの冥福と感謝を込めて建立されたものと思われます。
川魚供養碑(鳩ヶ谷市)
動物園や実験動物生産施設あるいは製薬メーカーなどでは、動物慰霊塔を建立して毎年動物慰霊祭が行われていますが、魚供養碑というのは珍しいと思いました。
以前に、千葉県の天津小湊町へ行った時に国道沿いの音無山にある波切(なみきり)不動尊に立派な魚の供養塔があり、その供養塔は「ワラサ」を祀った塔とのことでした。さらに、いくつかの文献などを調べてみると、各地に色々な碑があることが解りました。
例えば、
スッポン感謝塔 フグ供養塔
(上野不忍池) (上野不忍池)
川崎市宮前区初山の本遠寺には魚介類供養塔があり年に一度、日頃お世話になっている魚達に感謝の祈りを捧げるお祭として魚介類供養祭が行われます。
香川県の引田(ひけた)にあるハマチ養殖発祥の地である「安戸池」には魚鱗供養碑があり、毎年魚鱗供養祭が行われているようです。この供養碑は養殖中に死んでしまった魚を供養する目的で、昭和三十一年頃に始まったといわれています。
佐賀県唐津市大字呼子には鯨鯢(げいげい)供養塔と呼ばれる碑が龍昌院の境内に二基、君塚に一基、小川島に一基あり、このような碑が一つの町に四基あることは珍しく呼子町が捕鯨で栄えたことを示しています。
東京芝の増上寺に建立されている魚供養之碑には「魚がしに会社を起こし、水産物を商って三十七年ひたすら業界の発展と社会への貢献を志し(中略)、
今日あるは、水産物とりわけ魚類のおかげであることに思いをいたし、深い感謝をこめて、ここに魚供養碑を建立するものである。願わくは、生業を同じくする人々よ、しばし歩みをここにとどめ、彼らのために感謝の祈りを捧げられんことを」と記載されています。
ています。石碑にスッポンの形を彫り込みスッポン感謝碑と書かれています。また、少し離れたところには、フグ供養碑があります。文字は、岸信介筆で一九六五年東京ふ 上野不忍池の弁天堂境内には、スッポンの感謝碑が建立され
ぐ料理連盟が建立しています。
その傍にある魚塚は一九七六年東京魚商業協同組合が建立し、建立の趣旨は「四面海にかこまれた我が國では古來から魚介類が海の幸として、國民の蛋白補給源として食生活の上に重要な役割を果たしてる。因みに東京都における魚市場の歴史は徳川家康が幕府を開いた慶長八年に始まり いわゆる魚河岸と稱され、當時魚屋の心意氣を表徴した一心太助の人情噺は魚河岸の発展とともに江戸の華とてその活躍が人々に云い傳えられた。私共水産小売業者は年々全国各地で水揚げされる水産資源に感謝すると共に當組合一同が謹で魚の靈を悼み、組合創立五十周年を機会に供養のためこの塚を立して慰霊の年を新たにする。」昭和五十一年九月吉日建之と記されています。そして、弁天堂のほぼ裏側に位置する大きな塚は、鳥塚で「鳥塚 東京都知事 東龍太郎 書」と刻まれています。台座の石の正面には右から左の横書き三段で「東京食鳥鶏卵商業協同組合、東京都食鳥肉販売業環境衛生同業組合、社団法人日本食鳥協会東京支部」と記されています。塚の裏面にはこの塚を寄進した人の名前が列記されており、左の小さな碑には鳥塚の由来が記されています。
いずれの碑も、多くの生命を思いやる心が現れています。古来より日本には、草木供養をはじめ、アイヌ民族のコタンクル・カムイ(シマフクロウ)、サルルン・カムイ(湿原の神様・タンチョウ)を初めとして全ての生命を敬う心がありました。(以下、北海道開拓記念館・常設展示解説書より抜粋)
「アイヌの信仰では、この世にあるすべてのものに霊魂が宿っているとされています。 地震や津波などの自然現象、クマやオオカミ、トリカブトなどの強い力を持った動植物など人間の意のままにならないもの、力を持ったもの、不思議もの、役に立つもの、あるいは恐ろしいものが、神として崇められ、畏れられていました。神は崇められるだけではなく、神として崇められた霊魂は、人間世界へなんらかの恩恵をもたらすことで、返礼します。
もし、神に不手際があり、人間世界に不都合なことが生じると、人々はその原因となった神に強い言葉で抗議をおこなう。神はただただ崇められるだけの唯一絶対的な存在ではありません。アイヌ民族の狩猟活動も、すべてこうした考え方に支えられたものである。動物の霊魂は、毛皮を身にまとい、肉のみやげをもって、人間世界を訪れてくれる。現実の世界では、ここで猟という行為がおこなわれるのであり、また、他者から見た目には、獲物の命を止める狩猟行為としか写らないのであるが、アイヌの世界観では、ここで毛皮や肉の贈り物をいただくということになります。
贈り物をいただいた人間は、こんどはこの霊魂にたいして、篤く礼をのべ、無事にまた神の住む世界へ帰っていただかなければならない。すなわち、儀礼という行為のなかで、霊魂に対して人間世界のおみやげをもたせ、感謝の言葉を述べ、丁重にあの世へ送り返す。」この様に全ての生き物を大事にするという心がありました。
現在、日本では食料が余って捨てている一方で、世界的には食べるものがなく飢え死にする子供達が沢山います。野菜が出来過ぎて売れなければ畑の肥料としたり、牛乳を廃棄したりと言ったニュースが日常茶飯事的に報道されています。しかし日本でも、ほんの三十年ほど前は、牛肉や鯛などは年に数回しか食べられない贅沢品でした。牛乳の代わりに脱脂粉乳を飲み、バナナやパイナップルなどは食べる機会が殆どありませんでした。
今では、毎日のようにスキヤキやバナナを食べることができますし、さらにもっとグルメな生活を望んでいます。
日本では、真冬でもイチゴを食べることができますし、真夏にミカンやリンゴを食べることができ、季節感も薄れています。私たちは、このような贅沢な生活を当たり前だと思っています。そして、まだ充分に食べる事ができる食糧を無駄に捨てるような生活、それが私たち先進国の生活なのです。小さなイワシや曲がったキュウリなども味に代わりはありません。もったいないと言う言葉もよく使われていますが、一つ一つの生命を大事にするという心が失われているような気がします。
原稿を書いているのがたまたま盂蘭盆会(お盆)の前日ということもありますが、お盆の行事は正月行事と一対のもので古代の暦では、現在の一年は二年として扱われていて、一月一日から始まる年と、七月一日から始まる年があったようです。十二月と六月の晦日に神道の大祓いが行われるのがその名残と言われています。後に、七月一日の行事が盂蘭盆会という行事になったようですが、これがお盆の起こりと言われているようです。お盆は先祖の供養と共に、今も昔も家族の結びつきを強く感じさせてくれる行事です。
そう言った意味でも各種の石碑は歴史を知る重要な手がかりになりますが、歴史の資料としての貴重な文化財的価値のみならず、日頃何となく通り過ぎているような石碑にも我々が普段忘れている心が刻まれているのではないかと言うことを感じました。