縦書き by 涅槃 『鳩ヶ谷博物誌』へ 『郷土はとがや』 第66号 平成22年11月18日
鳩ヶ谷の生物十三
知っているようで知らないスズメ
藤波 不二雄
求愛するスズメ(左が雌、右が雄)
「むかし、むかし、ある所にやさしいおじいさんと意地悪なおばあさんが住んでいました。おじいさんは雀が大好きで我が子のように可愛がっていました。一方、おばあさんは雀は大嫌いです。(中略)おばあさんは帰り道、箱の中身を見たくて仕方がありません。道で箱を下ろすと、ふたを開けて見ました。何と、蛇や、お化けや、ムカデ等の恐ろしいものが次から次へと出てくるではありませんか。おばあさんは気を失ってしまいました。」これは、誰もがよく知っている舌切り雀の物語の一節です。そして、葛飾北斎によって舌切り雀の見事な絵が描かれています。スズメは昔から人の近くにいて、短歌や詩歌あるいは絵画などにも良く描かれています。
小林一茶の俳句に
すずめのこ そこのけ そこのけ おうまがとおる
われときて あそべやおやの ないすずめ
があります。この二つの俳句は有名ですが江戸の昔より、スズメがそれだけ身近な存在であったことが窺われます。
人家の近くで最も普通に見られる野鳥ですが、スズメの仲間は世界で十五種類が知られています。日本で記録されているスズメの仲間は、スズメ、ニュウナイスズメ、そして欧州では普通に生息するイエスズメが限局的に日本にも生息しています(十八世紀半ばまでは欧州でもスズメが主流でしたが、体の大きいイエスズメによって勢力範囲が大きくかわったといわれています)
スズメは体の大きさは約十四㎝から十五㎝ほどで、雌雄同色です。成鳥は頭部が赤茶色、背中は褐色で黒斑があり、頬から腹にかけては白色をしています。嘴の色は黒色ですが、幼鳥の時は淡黄色をしています。頬にある大きな黒い斑点は離れていても目立ち、これが他の近似種との区別点になっています。幼鳥は全体に色が淡く、頬の黒斑や喉の黒線がはっきりしません。嘴は短くて太い円錐形で、小さな餌をついばむために都合がよい構造となっています。地上では両足で飛び跳ねてすばやく移動し、人と同じような歩き方は出来ません。
一年中家の周りにいる留鳥であり、他の小型の野鳥の大きさを説明する際の識別の標準の鳥でもあります。植物の名前でもスズメは小さい、カラスは大きい事を表しています。スズメの語源については、「スズ」は鳴き声を、「メ」はカモメやツバメのように群れをなすことを指していると言われています。鳴き声は普通「チュンチュン」と聞こえます。食性は雑食性で、都市部に生息するスズメはサクラの花、パン屑・菓子屑あるいは生ゴミまで、何でも食料にします。このような雑食性が、都市部に適応した理由の一つと考えられています。繁殖期には雛を育てるために動物タンパク質として、害虫となる昆虫類を食べる反面、秋には収穫期の穀物を食害する害鳥ともなります。
スズメは漢字で「雀」と書きますが、中国や台湾では「麻雀」と表記します。麻雀(スズメ)は中国の古典では小さな鳥の総称のように用いられたようです。ちなみに、ニュウナイスズメは「山麻雀」と表記します。また、飼い鳥として良く飼われているベニスズメは、カエデチョウの仲間ですが、外来種として一部の地域で野生化しています。
分布
スズメはユーラシア大陸を中心に世界に広く分布し、農耕地から都市部まで、人の居住域付近ではごく普通に見られ、人間社会に強く密着しています。人間が住み始めた集落にはスズメも居着き、逆に人間が離れ集落が過疎化するとスズメも見られなくなるという傾向があり、そのため人里から離れるとスズメの姿が見られなくなります。
スズメは弥生時代に始まった農耕と共に人との協調的な生活が始まったのではないかとも言われています。水田の開拓や、それに伴う集落の発展に伴い、スズメの生息環境の拡大に繋がったものと考えられます。集落周辺や水田地帯は採餌場所として適しており、水田耕作と共にスズメノテッポウ、イヌビエ、ケイヌビエあるいはエノコログサなどのイネ科植物が水田の雑草として繁茂していたことが予想され、これらの種子はスズメにとって秋から冬期の餌として重要であったと思われます。中国大陸の水田地帯に生息していたスズメが渡来人のもたらした水田耕作と共に日本に侵入し分布を広げたものと考えられていま
一方の中国では一九五五年より、大躍進政策の一環として行われた「四害追放運動」において、ネズミ、ハエ、カとともにスズメを撲滅させるという計画が実施され、大規模な人海戦術で、年に十一億羽以上も捕獲したと言われています。しかしその結果、農作物の害虫が増え、全国的に凶作となったため、一九六〇年にはスズメがその対象から外されました。スズメがいなくなって初めてスズメが害虫駆除に大きな役割を果たしていたことがわかったようです。昨今、生物多様性の保存が叫ばれていますが、どのような生物もつながりをもって生きており、多様な生物がいることにより地球上の生態系が維持されている事の重要性が認識される必要があるものと思われます。
スズメのお宿
昔から「スズメのお宿」と言う言葉がよく使われていますが、行ってみると料理屋・喫茶店・麻雀屋などが多いのでがっかりします。本当のスズメのお宿は、葦原や竹藪のようなまとまった植生の場所が多いのですが、稀には駅前の樹木などに鈴なりになって塒をとっている事があります。
夏の夕方六時頃になると何処から集まってくるのか五百羽~千羽も集まる場所があります。蕨駅前のケヤキにも数年間続けて塒にしていたことがありましたが、塒に集結すると賑やかに鳴き交わし、明らかにそこにスズメの大群がいる事がわかっていますが、スズメの姿は夜陰に紛れて枝葉に隠れてしまい、はっきりと見えなくなります。場所によっては、大量に糞を排泄するために花壇や道路が汚れるので追い払われることもあります。
日本での分布域および個体数の変化
スズメは日本のほぼ全域に見られますが、小笠原諸島では見られず、青ヶ島が伊豆諸島での最南端の分布域とされています。しかし、太平洋の絶海の孤島である南大東島、北大東島にはスズメが多数生息しており、海を渡ってきた少数の個体から、温暖な気候により繁殖したものと考えられています。スズメは人間になじみ深い野鳥ですが、稲の害鳥とされてきた経緯もあり、有害鳥獣駆除という立場から農家による限定的なスズメの駆除は許可申請により認められており、狩猟対象鳥類二十九種の一つに指定されています。そのため警戒心は強いが、人が餌付けしたりする光景も見られます。筆者が定期的に通っている東京都の葛西臨海公園渡船場では、ベンチに座って食事をしていると必ずといって良いほどスズメが集まってきて、中には足元まで来て餌をねだる仕草をするスズメもいます。観光客の中には餌を与える人がいるので人を恐れなくなっているばかりでなく、「おねだりスズメ」になった個体もいるようです。
近年、新聞報道などによると日本におけるスズメの個体数は減少傾向にあるといわれています。ある推定によると、二〇〇七年のスズメの個体数は一九九〇年ごろにくらべて少なくとも半減、減少率を高く見積っても五分の一になったと考えられています。しかし減少原因についてはよくわかっていません。研究者によっては気密性の高い住宅の普及によって営巣場所が減少したとか、農村部でコンバインの普及によって落ちモミが減少しそれによる冬季の餌が不足したことなどが可能性として挙げられています。また農村部と比べて都市部において巣立っているヒナの数が少ない傾向が見られており、都市化に伴う餌不足も、減少原因の一つとして挙げられています。このように減少傾向にありますが絶対的な個体数はまだ多く、現在の減少スピードであれば数十年後に絶滅してしまうことはないといわれています。
スズメは鳥獣保護法で狩猟鳥に指定されており、都市部に限らず郊外でも人間の生活圏に適応した鳥ですが、益鳥と害鳥の両面がその食性からいわれており、一方ではスズメを追い払う反面、短歌や俳句などに謳われているように親しみを持って描かれてきました。都市部では、主に猫やカラスなどが捕食者となっており、食物連鎖のバランスがとれていますが、郊外では春先に苗の害虫を食べる益鳥として扱われ、秋には稲の(もみごめ)を食害する害鳥となり、古来からスズメを追い払うため、「スズメ追い」「鳥追い」などという風習が各地にあり、それに関する民謡、民話なども伝えられています。
鳩ヶ谷市内でも、スズメ追いの案山子が秋の風物詩の一つになっていましたが、最近は全く見ることがなくなりました。そう思っていたところ、昨年、辻のバス停付近の水田に案山子を見つけました。ところがその案山子は、昔風の案山子とは全く異なっていました。後日わかったのですが辻小学校の生徒達が作った案山子で、現代版の案山子でした。効果があるかどうかは別として、子供達が農業に接して「スズメ追い」というものを理解するには良い試みかなと思いました。
スズメの個体数の変化
さいたま市(旧浦和市)野田の鷺山のシラサギやカワセミ等が減少したことなどをふまえ、各種の野鳥について出来る限り個体数の記録を行って来ました。その一つとして、見沼田圃の
* スズメの羽数は、調査1日の平均出現羽数を示す。
一角にある差間地区に於いて各種の野鳥の種類数と個体数の調査を四十年に亘り調査を行ってきました。調査を行った差間地区では、一九八〇年代前半まで農地が広がっており、冬になると霞網や無双網でスズメを捕る人がいました。この頃は、秋から冬にかけて数百~数千羽のスズメが群れていました。スズメは葦原を塒として、農地を餌場としていたことから生活の場として最高の環境であったと思われます。しかし、その後の環境の変化をみると、一九八〇年~八四年までは水田から休耕田への移行の時期で、スズメの年間の一日平均出現個体数は百五十羽でしたが、一九八二年は二五〇羽が記録されました。一九九五年以降は芝川第一調節池掘削工事のために地域内はめまぐるしく環境が変化しましました。ある年は水域が広がり、次の年には草地が広がるという具合でしたが、二〇〇〇年までは年間の記録個体数が五十羽以下でした。二〇〇二年と二〇〇六年に個体数が多少増加傾向を示しましたが、調節池内では工事のためのダンプカーの往来が激しく、丈の低い芝地のような場所は工事小屋や資材置き場となる事が多くスズメの生息環境として不向きな時期が多かったことがスズメの生息数に少なからず影響を与えたのではないかと思われます。グラフに示した個体数は、繁殖期や秋冬の集団などの期間を考慮せず単純に調査年ごとの記録を示しましたが、少なくとも一九八五年代以前に比べ、二〇〇〇年以降の記録個体数が減少傾向にあることがわかります。
日本に侵入してきたイエスズメ
一九九〇年八月四日に日本では生息が確認されていなかったヨーロッパのイエスズメの雄一羽と若鳥一羽が利尻島で確認されました。イエスズメはスズメよりも体が大きく、最も広く分布している種類です。利尻島で確認されたイエスズメは、サハリン経由で飛来したとみられ、今後も北海道に渡ってくる可能性が高いと考えられています。 もし、道内にイエスズメが生息するようになると、私たちの周りにすむスズメたちは、イエスズメによって人家周辺から林に追いやられ、林にすむニュウナイスズメがスズメに追われてしまう可能性がありますが、三種類のスズメがどのようにすみ分けるようになるのか興味深くもあります。
お菓子で作ったスズメ
日光東照宮を過ぎて、街並みが見え始めたところに華乃家というお菓子屋があります。店へ入ると羊羹や皇室御用達の金箔カステラなどの菓子が売られています。そのお店で興味があったのは、売られているお菓子ではなくガラスケースに飾られている五羽のスズメです。五羽のスズメは白いツバキと共にザルの周りに本物そっくりに作られたスズメが飾ってありました。ザルを紐のついた小枝で支え、ザルの下に餌を撒いておいて、スズメが下に入ったら紐を引いて捕獲する方法で昔は当たり前のように密猟されていた方法です。ガラスケースから少し離れてみると、本物のスズメの様に見えるから不思議です。
スズメは狩猟鳥獣の該当種ですので、「鳥獣保護法」に則って、狩猟免許(第一種=ワナ猟、第二種=銃猟)の所有者が、狩猟期間内(北海道以外の地域の狩猟期間は十一月十五日~二月十五日)の期間内に適正な方法および適正な捕獲数で狩猟したものであれば、食べても、販売しても問題はありません。なお、「鳥獣保護法」に則った狩猟者免許所有者による捕獲でも、有害鳥獣駆除により捕獲されたスズメに関しては、販売が禁止されていますので個人消費でしか食べることが出来ません。 なお、狩猟者免許所有者がスズメ猟を行う時に使用する猟具は、第二種免許では小口径の散弾銃、第一種免許では無双網が多く使用されています。
茨城県古河市の雀神社
スズメとは直接関係ありませんが、二〇一〇年五月十二日、短歌会の吟行会で訪れた古河市で雀神社を訪ねました。古河市は鳩ヶ谷市同様に旧日光街道沿いにある宿場町ですが、宿場沿いの民家や建物が良く保存されており、博物館や美術館などとしても活用されています。鳩ヶ谷市の宿場町もこの様な利用のされ方があっても良いのではないかと思いながら、街並みを過ぎたところに雀神社がありました。雀神社の境内に続く土手の向こうは広大な渡良瀬遊水池が広がっていました。境内にある古河市観光協会の解説板によれば雀神社の創建は貞観年間(八五九~八七年)に出雲大社の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。
名称の由来は、昔この辺りの地名が"雀が原"だったとも"鎮宮"がなまり"雀宮"になったとも言われています。以来、古河の総鎮守として信仰され、康生元年(一四五五年)足利成氏が古河公方になると五代に渡り足利家の崇敬社となり弘治二年(一五五六年)には足利晴氏夫人が鰐口を寄進しています。江戸時代になると幕府、歴代古河藩主から庇護され社領十五石が安堵されています。現在の社殿は慶長十年(一六〇五年)に当時の古河藩主松平康長が造営したもので本殿は一間社流造、銅板葺、拝殿は桁行五間、梁間三間、入母屋、瓦葺、大きく張り出した唐破風の向拝が付いている建物で古河市指定有形文化財に指定されています。造営の際奉納された磐戸神楽や神楽の面、ささら獅子舞なども民俗的価値が高いとされ今日まで受け継がれています。又、御神木の大欅は古河市内最高の欅とされ樹高二十五m、根本周囲十八m、目道り周囲八、八mの巨木で二本の欅が重なりあっている事から夫婦欅の別称があり古河市指定天然記念物に指定されています。
参考文献
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