縦書き by 涅槃 『鳩ヶ谷博物誌』へ 『郷土はとがや』 第58号 平成18年11月18日
鳩ヶ谷の生物5
県の鳥「シラコバト」に
明日はあるか(1)
藤波不二雄
県の特別天然記念物および埼玉県民の鳥として指定されている「越谷のシラコバト」は「コバトン」という愛称にも使用されていますので、姿を見たことはなくても名前は聞いたことがあるのではないかと思います。コバトンはシラコバトをモチーフにして、彩の国まごころ国体・第四回障害者スポーツ大会のマスコットとして誕生し、平成十七年一月四日「埼玉県のマスコット」となりました。
シラコバト
このシラコバト(写真)が鳩ヶ谷市にも生息していたことを知っている人はどのくらいいるでしょうか。おそらく殆どの人が知らないのではないかと思います。
埼玉県南東部の穀倉地帯といわれた越谷市及びその周辺には、かつて県の鳥に指定されたシラコバトが生息していました。このシラコバトは、昭和四十年十一月三日に埼玉県民の鳥として選ばれました。この鳥は日本でも埼玉県にしか生息していないというのが選択された理由です。
当時、野鳥の保護は文化国家の重要な仕事の一つとも言われ、有益な鳥類を保護増殖して農林水産業に役立ってもらいたいという希望的なものもあったのではないでしょうか。
シラコバトの特徴
シラコバトは学問上ハト目ハト科のキジバト属に属し、学名をStreptopelia decaoctoという鳥です。
鳩ヶ谷市の鳥であるキジバト(山鳩)と同じ仲間のハトで、越谷市などではノバトあるいはドバトなどとも呼ばれています。体の大きさはキジバトよりも僅かに小さく、尾だけが細く長い感じのハトです。
体の色はシラコバトという名前から白いハトを想像すると思いますが、実際の体の色は薄いバラ色をおびた淡灰褐色の鳥で、光線のあたり具合によっては白っぽく見えることもあります。背や腰の色は翼に比べ、更に灰褐色が濃く、肩の部分は黄褐色を呈しています。また、頸にはこの鳥の大きな特徴として、頸の側面から後方にかけて黒い頸輪状の太い横線があります。黒帯の回りに細く白い線がついているので識別ポイントになります。
現在生息しているシラコバトは日本産鳥類目録第五版(一九七四年、日本鳥学会)によると、中近東からヨーロッパ、中国および朝鮮半島に分布するStreptopelia decaocto decaoctoと同亜種としています。
我が国でのシラコバトの分布起源には諸説があり、
(一) 江戸時代中期に江戸近郊に移入され広がった(定説化されている)。
(二) 既に江戸時代初期には本邦各地に分布しており、農耕時代が終わった弥生時代以降に大陸から分布拡散した自然分布であるとの仮説。
日本におけるシラコバトの局地的な分布状況から考えて(一)の移入説が正しいと思われますが、いずれの説が正しいかはシラコバトにもわからないことでしょう。
余談ですが昨年、外来生物法という法律が出来ました。外来生物法では、元々日本に生息していない外来生物のうち生態系などへ被害を及ぼす可能性のある生物を「特定外来生物」、被害を及ぼすかどうか未判定のものを「未判定外来生物に指定しています」この様な生物は輸入禁止、また、既に飼育しているものは自然界に放すことを禁じています。
ジュズカケバトとの違い
よく似た鳥にジュズカケバトがいます。ジュズカケバトはシラコバトよりもひとまわり体が小さく、体色は全体的に白い(淡褐色)感じがします。そして鳴き声も若干異なっておりポポーポー、ポポーポーと言うような声ですが、長く伸ばす音が転がすような感じに聞こえます。
また、ジュズカケバトは飼い鳥であること、シラコバトは野生種であることが大きな違いです。稀には何処かで飼育されていたジュズカケバトが逃げ出して二次野生化することもあります。シラコバトは天然記念物ですので通常飼育されることはありません。
シラコバトの分布
シラコバトの生息環境は越谷市の水田地帯であり、元荒川、古利根川、千間堀をはじめとした河川につながる小さな水路が幾重にも走り、これらの水路を縫うようにして畑や果樹園あるいは防風林を巡らした農家が点々と存在していました。おそら
シラコバトの分布の変遷
くこの様な耕作地帯を餌場とし、その中に点在する生け垣や庭木、あるいは防風林等を営巣場所として生活していたものと思われます。
越谷市では一九九〇年代までは増森、増林を含む市内全域で生息していましたが、地区によって分布個体数が異なります。かつての分布中心域であった大林(宮内庁の御猟場がある)~弥十郎地域にかけては、市街化が著しく個体数は減少しました。
最近二十年間の記録としては、ふるさと歩道で一九八六年十月二十五日、一九八八年十月八日、古利根川付近では一九八七年一月十八日、一九八八年一月二十四日、一九九〇年一月二十一日、一九九一年一月二十七日、一九九二年十一月十九日等の記録があります。
健康福祉村付近では一九九一年五月十二日、七月七日、増林付近では一九八九年二月五日、二月十九日、北越谷中川堤付近では一九九六年四月、二〇〇四年九月二十一日、二〇〇五年五月、等の観察記録があります。しかし、都市化の波に追われ、養鶏場や養豚場などが郊外に移転すると共にシラコバトも越谷市内から周辺地域へと分布を拡大していきました。その結果、越谷市内では一九六〇年代には冬の田圃に百羽~二百羽単位で集まって採餌していた姿を見ることがなくなりました。
鳩ヶ谷市での記録
都市化の波に追われ養鶏場や養豚場が郊外へ移転すると共に越谷市を追われたシラコバトは鳩ヶ谷市にも一時的に進入してきました。一九七五年八月十五日にラクダ坂付近で初めて鳴き声を聞くと共に姿を観察することができました。その後、本町二丁目の旧小林宅の庭にあった樹木でよく鳴いていました。そのほかの記録としては八月十九日(桜町六丁目)、九月十三日(本町二丁目)、一九七五年十月十一日~十一月十五日、一九七八年五月八日などの記録があります。いずれも大龍寺山周辺(桜町六丁目)の地域、特にラクダ坂~井田養鶏場周辺で二番が生息・繁殖していました。しかし、住宅が増加すると共に養鶏場の鶏糞の臭気や蠅などの飛来による苦情などから養鶏場を維持することが難しくなり茨城県へ移転したことに伴いシラコバトは見られなくなりました。従って鳩ヶ谷市内では一九七五年八月から一九七八年五月頃までの三年間に亘って生息が確認されたことになります。
川口市
川口市では鳩ヶ谷市へ進出してくる二年ほど前から観察されるようになり、一九七三年頃より急激に増加し川口市内でも繁殖するようになりましたが、一九八〇年以降は差間周辺で時々観察される程度まで減少し、一九九〇年以降は見られなくなりました。主な記録として、一九七三年十月十四日(二羽)戸塚、一九七四年五月二六日(四羽)安行領家、一九七五年七月一五日、一九七七年七月二五日、八月三十日、十月一日、十一月二十二日、十二月二十日、一九七八年五月二日(三羽)、七月九日(四羽)、十一月十九日(八羽)、一九七九年三月一八日(五羽)、一九七九年四月二十九日(八羽)、九月十五日(七羽)、一九八〇年四月二十九日(一羽)、十月五日(三羽)、一九八一年一月二十四日(六羽)、二月十五日(八羽)、三月七日(四羽)、十二月二十七日(十羽)、一九八二年一月三十日(一羽)、八月六日(二羽)、一九八四年一月二十八日(十二羽)、十一月二十四日(二羽)、一九八五年三月三十一日、九月二十三日、十一月十七日、十二月二十二日、一九八八年一月二十四日、三月二十日、四月十日、一九八九年二月十二日、三月二十六日、五月十五日、一九八九年三月六日(五羽)、九月二十日(四羽)、一九九一年五月十二日自然の家など、以上差間地区、一九八九年七月十八日グリーンセンター、などの記録があります。
芝川以西は市街地が広がっていますが、一九七九年十月前川町、九月芝で各一羽(池谷奉文)の観察記録があります。
戸田市
市北部の美女木では一九八〇年頃から四羽が継続して観察された記録があります(越谷とは別に志木の個体群が飛来していた可能性があります)。一九八九年十一月十九日道満、彩湖では一九九二年七月三十一日(一羽)、二十一日、一九八五年十月二日(一羽)、一九八六年十二月六日(一羽)、等の観察記録があります。
さいたま市
さいたま市では主に荒川河川敷と見沼田圃を中心に生息が確認されています。
秋ヶ瀬公園では一九七七年八月二十三日に始めて観察 (文献四)されて以来、二十四日(三ツ池)、二十七日、九月十五日(秋ヶ瀬B区)、で一羽が継続的に観察されるようになり、一九七九年七月三十一日~八月上旬にかけて営巣、抱卵が観察されました。それ以降は一九八三年八月十日に秋ヶ瀬公園(五~六羽)、一九九五年三月三十一日鴨川排水機場で繁殖が確認されています。その後、排水機場では一九九六年十月六日などの観察記録がありますが二〇〇〇年以降繁殖の確認はなく、姿も見られなくなりました。
大久保浄水場付近では一九九七年七月十三日、二〇〇二年八月一七日などの記録がありますが、最近の観察記録はありません。
一方、見沼田圃では一九八三年七月二日に三室、一九八五年五月十九日国昌寺付近、九月十六日、十月二十日、十一月十七日、一九八六年十月二十三日大門、十二月七日野田、一九八七年三月十五日通船堀、一九八八年四月十七日見沼田圃、五月十五日大門、一九八九年一月三日サギ山記念公園付近、四月二十三日見沼田圃、十一月十九日通船堀、一九九〇年一月二十一日芝川、四月十五日野田、五月十三日大門、一九九一年一月三日サギ山記念公園付近、四月十四日氷川女体神社、五月十二日加田屋新田・大門、九月二十日片柳、十月二十日国昌寺付近、一九九二年十一月五日見沼田圃、十二月八日大門等、見沼田圃では一九八三年以降約一〇年間に亘って継続的に観察記録があります。
旧岩槻市では一九九四年にエクレール岩槻付近、等での観察記録がありますが、二〇〇〇年以降は少数が元荒川沿いで生息しているようです。
伊奈町
一九八五年九月二十三日無線山、一九八九年十月十五日見沼代用水、等での観察記録があります。
朝霞市
一九八五年六月九日、十八日内間木、九月十六日、十一月十日、一九八六年十一月二十三日、一九八七年三月十五日、九月十三日、一九八八年三月六日、一九九〇年三月十一日、一九九一年五月十二日、十一月二十五日黒目川付近、一九八九年四月二十九日、五月一日城山公園、二〇〇一年二月中旬に市内の養鶏場、等での観察記録があります。
志木市
一九八五年五月二十六日、一九九一年四月二十日柳瀬川、等の観察記録があります。
和光市
一九八〇年四月二十八日下内間木(荒川沿い)、一九八七年一月十八日、四月十日、一九八八年四月三日、一九九一年一月二十日新河岸川、等での観察記録があります。
富士見市
一九八七年二月十七日氷川神社、一九八九年七月二十八日、一九九〇年五月十二日、十一月二十五日、十二月二十二日柳瀬川、二〇〇六年三月十九日(一羽)、七月二十三日(一羽)びん沼自然公園、等での観察記録があります。
川越市(川島町を含む)
一九八八年下大座敷の入間川で行森英治氏が観察した記
録が最初で、その後一九九一年十二月八日伊佐沼、二〇〇五年三月川島村(牛舎で二十羽以上)、等での観察記録があります。
蓮田市
一九八四年十月十七日黒浜沼周辺での観察記録があります。
草加市
一九八〇年代初期には市内全域で観察されていましたが、個体数は少なかった。その後徐々に個体数の増加が見られたものの二〇〇〇年代には観察される頻度も少なくなりました。一九八五年七月十三日、九月二十二日、一九八六年九月二十二日、一九八七年七月五日、一九八八年五月三日、九月二十三日、十月十一日、一九八九年七月十六日、十月一日、二十八日、一九九〇年五月十三日、一九九一年五月十二日、九月十二日柿の木地区、一九八九年三月十二日綾瀬川付近、十一月十九日青柳、一九九〇年三月四日、一九九一年三月三日綾瀬川付近、十二月二日葛西用水付近、等での観察記録があります。
三郷市
一九八〇年代は市内全域に生息していましたが個体数は少なく分布が限局しており、二〇〇〇年四月十二日(新三郷駅周辺)、二〇〇四年三月杉橋養鶏場、等での観察記録があります。
吉川町
一九八〇年代初期には町内全域に分布し、特に越谷市の増森に接する地域では個体数が多く観察されました。一九八九年七月十六日中川、一九八九年十月二十八日ふるさと歩道(水郷)、等での観察記録があります。二〇〇〇年代に入ってからは全体的に個体数が減少しており、二〇〇四年二月十四日川藤付近、等の観察記録があります。
春日部市
一九八〇年代までは市内全域に生息し、特に越谷市・庄和町に接する南部から東部にかけて普通に生息していましたが、国道十六号線以北の内牧・春日部駅周辺は少なく一九八八年十月六日内牧、等での観察記録があります。
杉戸町
個体数は少ないものの一九八〇年代初期には、町内全域に見られましたが、北西部ではごく僅かに確認される程度でした。一九八〇年七月十日(一羽)茨島で観察された記録があります。
宮代町
一九八〇年代までは東武日光線以東の町内で確認されたに過ぎませんが、最近の記録としては二〇〇三年三月十六
日、十一月十五日、二〇〇四年一月三十一日などの観察記録があります。東武動物公園周辺では一九九五年六月~一
九九六年八月にかけて多く観察され、二〇〇四年十二月東武動物園周辺での観察記録があり、現在動物園周辺は確実
に観察することが出来る地域です。
幸手市
一九八〇年代初期は、主に東武日光線以東、江戸川までの地域に分布していました。三田、木立、神明内などで数羽程度が観察されています。中株、戸島の養鶏場付近では十羽以上が観察されていました。一九八〇年十一月三十日中川崎(三羽)、一九八八年二月十二日権現堂、等での観察記録があります。
久喜市
一九八〇年初期には数羽の記録があった程度ですが、一九八五年十月八日青毛堀、十二月十一日昭和池、等での観察記録があります。
庄和町
一九八〇年初期には町内全域に分布しており、一九八〇年十月十九日、一九八四年~一九八五年大字神間で周年生息を確認、一九八九年十月八日江戸川、二〇〇六年八月三十日(九羽)、十月八日(十一羽)北蓮沼、等での観察記録があります。
騎西町
一九九五年六月~一九九六年八月にかけて東縁見沼用水沿いの地域で観察されています。一九九〇年二月十一日、五月二十二日、六月十七日菖蒲町から騎西町にかけての見沼用水で観察されました。二〇〇三年一月十四日上種足の埼玉県環境科学国際センター付近、等での観察記録があります。
鴻巣市
観察記録は少ないが一九八〇年初期から分布していました。一九八〇年七月二十四日天神(一羽)、一九八六年十一月二十三日馬室、一九九〇年十一月二十五日(二羽)糠田橋、等での観察記録があります。
北本市
一九八四年七月十日高尾(一羽)、十一月六日宮内中学校(高圧線にかかり落鳥)、一九九二年六月二十二日古市場、七月一日深井(協和銀行付近)、等での観察記録があります。
行田市
一九八〇年八月以来、市の中央部の谷郷などで観察され、一九八七年一月十八日さきたま古墳、一九九五年六月~一九九六年八月にかけて東縁見代沼用水沿いの地域で観察されています。
羽生市
一九八八年九月十八日木川俣、一九八九年九月十七日ふるさと歩道、一九九二年六月十四日上新郷、等での観察記録があります。
加須市
一九八八年八月二十八日、一九九一年七月二十八日花崎、一九九五年六月~一九九六年八月にかけて東縁見沼用水沿いの地域で観察されています。
熊谷市
市南部の飯塚付近に於いて一九七九年六月十三日(一羽)が観察されたのが最初で、一九八二年頃まで同地で二羽の観察記録があるほか、一九九三年四月二十三日池上、等での観察記録があります。
妻沼町の利根川付近では一九九五年十一月三日の観察記録があります
栗橋町
一九八七年三月一日中川での観察記録があります。
北川辺町
一九八五年九月二十六日、一九八六年九月十五日、十一月九日、一九九〇年五月十三日、一九九一年六月九日渡良瀬遊水池、等での観察記録があります。
川里村
一九八三年五月三十日広田地区の畑で観察され、この地区では一九八二年より生息が確認されています。
坂戸市
一九八八年十月十一日小沼の水田、等の観察記録があり
ます。
東松山市
一九八三年七月三十一日吉見の百穴入り口付近で観察
されています。
吉見町
吉見の百穴の東側に位置する百穴湖付近で、一九七九年十二月十六日に一羽が観察されて以来、一九八一年二月頃まで同一個体と思われるものが観察されています。
東京都
東京では昭和二十年頃には旧多摩地方の農村部に普通に見られたという記載があります。一九四一年十一月二日、一九四二年五月三十一日練馬、一九三八年~四二年保谷村、等での記録があります(文献一、二)。しかし、一九五八年の報告(文献七)では、東京都でのシラコバトの繁殖は報告されていません。一九七六年葛飾区の水元公園の記録を初めとして、埼玉県南東部に接する葛飾、足立の両区の一部で記録されるようになりました。
足立区は川口市と草加市と接していることから生息が確認されています。舎人町では一九七七年頃から年間を通して観察され、営巣も確認されています。
竹の塚では一九七九年五月二十六日、伊興町では一九八〇年八月二日、西伊興町で一九八〇年九月二日、一九八三年五月九日足立区西新井五丁目(大内病院敷地内)などの観察例がありますが、二〇〇〇年代の記録は確認されていません。
茨城県
一九七九年水海道市菅生町で観察された記録が茨城県初記録で、その後利根川を挟んで千葉県と接す
る水海道・岩井・守谷などで常時生息するようになりました。
総和町
二〇〇五年一月下辺見・思案橋(向堀川)付近での観察記録があります。
岩井市
二〇〇五年一月、半谷の養豚場(一羽)での観察記録があります。
栃木県
栃木県での観察記録は少ないが確実に分布が広がってきています。二〇〇五年一月小山市で観察された記録があります。
群馬県
二〇〇五年一月板倉町の東洋大学周辺で観察された記録があります。
千葉県
千葉県では一九六八年野田市において観察された記録がありますが、最近の記録が少なく今後の詳しい調査の必要があります。野田市内全域に分布していると思われますが、初記録は一九六八年六月二日(二羽)で、その後は東京理科大
学記念自然公園、座生沼などで一九八六年代には普通に観察されていました。
松戸市北部の江戸川に面した農耕地を中心に分布し、古ヶ崎では一九七九年から繁殖が確認されています。二〇〇〇年八月二十一日流山沿いの江戸川、等での観察があります。
流山市では主に東武野田線以西の市内各所に分布し、最近では江戸川沿いで二〇〇二年八月二十一日に観察した記録があります。
各地区での主な観察記録を列記しましたが、殆どの記録が一九八〇年代~一九九〇年代に偏っています。個人的な観察記録が主になっていることもありますが、分布は確実に広がっているにもかかわらず、二〇〇〇年以降の記録は非常に少ないのが現状です。
シラコバトは埼玉県が出版したレッドデータブックでは絶滅危惧種Ⅱ類に分類されています。これは、現在の状態をもたらした圧迫要因が引き続き作用する場合、近い将来「絶滅危惧Ⅰ類」のランクに移行することが確実と考えられるもの、と定義されます。例えば定性的な条件として、
一、 大部分の個体群で個体数が大幅に減少している。
二、 大部分の生息地で生息条件が明らかに悪化している。
三、 大部分の個体群がその再生産能力を上回る捕獲・採取圧にさらされている。
四、 分布域の相当部分に交雑可能な別種が侵入している。
シラコバトの場合は、一と二の項目が当てはまり、今後の動向が懸念されます
参考文献
一、中西悟堂(一九四一)武蔵野(本田正次、田村剛編)
二、日本野鳥の会(一九七五)東京の鳥、東京都産鳥類目録(明治から現代までの記録)
三、埼玉県教育委員会(一九八二)埼玉県史跡名勝天然記念物調査報告書、越谷のシラコバト
四、埼玉大学野鳥研究会(一九七四~一九八一)秋ヶ瀬公園、大久保浄水場周辺における鳥類観察報告一~七
五、新浜倶楽部(一九八八)新浜の鳥、一九六六年~一九六八年の記録
六、新浜研究会(一九七六)千葉県新浜水鳥保護区調査報告書
七、東京都公害局(一九八三)東京都鳥類繁殖調査報告書