縦書き by 涅槃 『鳩ヶ谷博物誌』へ 『郷土はとがや』 第61号 平成20年12月8日
蝶から見た鳩ヶ谷市の温暖化 その後
藤波 不二雄
本誌六〇号(平成十九年十一月十八日発行)で、過去に生息記録がなかった南方系の蝶であるナガサキアゲハとツマグロヒョウモンが鳩ヶ谷市内で定着したことを記載しましたが、その後の新しい知見が得られました。
ナガサキアゲハ
ナガサキアゲハの鳩ヶ谷市内での記録は筆者が二〇〇六年九月二十四日に新芝川と旧芝川の合流点から天神橋付近の川面を飛んでいる蝶を目撃したのが市内初記録であることを報告しました。そして、鳩ヶ谷市内でも民家の庭で、ナガサキアゲハの幼虫の食草であるカラタチ、キンカン、ユズなどの柑橘類が植栽されているので、これから増加する可能性がある事を示唆しました。ところが、前報の原稿を投稿後に永山忠夫氏より、二〇〇五年八月に八幡木二丁目の自宅庭で雌雄が絡み合うようにして飛んでいるのを観察し、その後二〇〇六年にも何度か庭に飛来した(私信)。との情報を得たことから、川口市とほぼ時を同じくして鳩ヶ谷市内に侵入したことが解りました。そして二〇〇六年十月二十四日に南公民館付近で筆者が雌一頭を目撃しました。さらに、二〇〇七年九月二日午後四時半頃に桜町六丁目の自宅庭で雌を目撃、翌日、午前六時半頃にも飛んでいたので、庭の何処かで羽化したのではないかと思い庭木を観察したところ、サンショウの枝に羽化後の抜け殻がありました。
筆者が鳩ヶ谷市内で初めてナガサキアゲハを目撃してから一年後には自宅庭で産卵し、羽化した蝶を撮影できるとは思っても見ませんでしたが、過去三年間に亘ってナガサキアゲハが鳩ヶ谷市内で目撃され、かつ羽化が確認されたことにより確実に定着しつつある事が確認できました。
ツマグロヒョウモン
鳩ヶ谷市内での記録は、二〇〇六年八月十七日に鳩ヶ谷小学校裏門近くの民家のプランターに飛来していた雌を目撃したのが最初です。少なくとも筆者は二〇〇五年までは鳩ヶ谷市内では全く観察していませんでしたので、二〇〇六年から鳩ヶ谷市内で定着したものと思われます。そして、
この蝶の幼虫の食草はスミレの仲間ですが、パンジー(三色スミレ)が民家のプランターや庭などに多く栽培されているために、あっという間に鳩ヶ谷市内全域に広がり定着した事を郷土はとがや六十号で掲載後、数名の方から定着と言うにはまだ早いとの指摘を受けました。その後、永山忠夫氏より、ナガサキアゲハと時を同じくして二〇〇五年八月に三ツ和公園東側の市民農園で飛んでいる雌を目撃、九月には八幡木二丁目の自宅庭で幼虫を観察した(私信)との情報を頂きました。永山氏宅ではスミレ、タチツボスミレ、ツボスミレ、エイザンスミレ等のスミレ科植物が植栽されていることから、これらのスミレを食草にしたものと思われます。また、二〇〇七年九月二十一日に桜町六丁目の知人から、庭のヒゴスミレが丸坊主にされて見たことのない毛虫がいるというので確認したところ、ツマグロヒョウモンの終齢幼虫でした。二〇〇八年四月四日に再度、ヒゴスミレにツマグロヒョウモンの幼虫がいるとの連絡があり終齢幼虫を確認しました。四月十六日には本町三丁目の路上でスミレの葉にいた終齢幼虫を観察、次いで四月二十四日には自宅庭のスミレでも若齢幼虫、六月二十七日終齢幼虫を確認しました。また、桜町六丁目町内二ヶ所のプランターや植木鉢に植栽されているパンジーがツマグロヒョウモンの幼虫によって開花前に丸坊主にされているのが散見されました。二〇〇八年度も五月初旬から市内各地で成蝶を目撃するようになり、ツマグロヒョウモンは市内で最も目につきやすい蝶の一つとなっています。
ムラサキツバメ
ムラサキツバメはシジミチョウとしては大型で、翅の裏側は地味な褐色ですが、表側は雌では中央部が鮮やかな青紫色、雄では全体が暗い紫色で、ムラサキシジミに似ていますが後翅に尾があります。ヒマラヤ東部から中国南部にかけての照葉樹林帯を中心にマレー半島、東は台湾、日本まで分布する事が知られている南方系の蝶です。日本では一九九〇年代までは近畿地方以西、四国、九州等に分布していましたが一九九〇年代後半以降、従来よりも東側の東海、関東地方から成虫および幼虫の目撃や採集報告等が相次いだことから、分布をより寒冷な地方へと広げつつあると考えられています。埼玉県では二〇〇〇年に草加市やさいたま市などで確認され、二〇〇一年には川越市などでも確認されました。この様な記録の増加は、気候の変動などが原因の一つと考えられますがムラサキツバメの食草の一つであるマテバシイが街路樹や庭木として盛んに植樹されていること等も関係しているものと思われます。また、これらの地方では春には成虫がほとんど観察できず、夏から秋にかけて個体数が増えることから、越冬できる個体がいないかまたはかなり少なく、毎年暖かい地方から移動してきた蝶が夏の間だけ一時的に分布しているという可能性等が考えられていました。
ムラサキツバメの一般的な習性として、冬は成虫で越冬し、春先に活動を再開し、五月下旬から六月にかけて現れ、十一月頃まで成虫が見られます。食草のマテバシイの新芽や若枝の付け根などに卵を一個ずつ産卵し、孵化後の幼虫は柔らかい新芽の中にもぐりこんで成長し葉を折り曲げて巣を作り、若葉を食べます。
川口市では二〇〇五年以降、新井宿や東内野などの林では毎年観察されていますが、越冬は確認されていません。
鳩ヶ谷市内では過去に記録はありませんでしたが、二〇〇八年一月十四日に川口市の中学校一年生、工藤洋平君によって鳩ヶ谷市本町四丁目にある雑木林のマテバシイでムラサキツバメの幼虫による前年度の食痕が数個確認されました。食痕が確認されたことによって、生息していることがわかりましたが、成蝶は確認されていません。従って、川口・鳩ヶ谷市域での越冬および定着といえる判断材料はありませんが、近い将来、確認できるのではないかと思っています。
クロコノマチョウ
クロコノマチョウはタテハチョウ科ジャノメチョウ亜科に属する蝶で翅の裏面は枯れ葉に似ており、地上に止まるとちょっと見つけにくい蝶の一つです。鳩ヶ谷市内では一九五〇年代後半に権現山(現コンフォール東鳩ヶ谷・浦寺遺跡付近)でクロコノマチョウを観察しましたが、その後は東公団誘致に伴い、権現山の雑木林が消失したので生息は確認できませんでした。一九九八年十月に川口市西立野の西福寺(真言宗豊山派・奈良長谷寺を本山とする末寺で通称を「百観音」という)付近の林で成蝶を確認しました。その後、南関東では二〇〇〇年代に多くの観察報告が行われるようになり、二〇〇六年には北本自然観察公園で幼虫や蛹が観察されました。鳩ヶ谷市周辺でも生息が定着しつつあるのではないかと思っていましたが、二〇〇八年四月二十六日に鳩ヶ谷市に隣接する西新井宿の林で越冬個体を観察・写真撮影しました。成蝶は林の中にいることが多く、他の蝶のように花に訪れる事がないので数多くの個体が目撃されることはないが、鳩ヶ谷市内でも僅かに残る林などで記録される可能性があると思われます。
ウスバシロチョウ(参考記録)
名前はシロチョウですが、シロチョウの仲間ではなくアゲハチョウの仲間で、中国東部、朝鮮半島、日本等に分布しています。日本国内では北海道から本州、四国にかけて分布し関東地方では埼玉県や東京都の丘陵地で生息しています。北方系の蝶なので、西南日本では分布が限られています。ウスバシロチョウの特徴は翅が半透明で白く、黒色の斑紋があり、体毛は黄色く細かめで、年一回、五~六月頃(寒冷地では七月頃)に発生します。幼虫の食草はケシ科のムラサキケマンやヤマエンゴサクなどです。
鳩ヶ谷市内での記録はありませんが、二〇〇八年五月二十一日に新座市の平林寺総門近くにある「睡足軒の森」の門の周りを飛んでいるのを目撃しました。折悪しく、休園日で園内に入れなかったため写真記録が出来ませんでしたが、県南部の平地林での目撃はきわめて珍しい記録と思われます。前日に低気圧が通過した事により、本来の生息地より偶発的に飛来した可能性もありますが、今後の参考記録として記載しておきます。
今まで生息していなかった数種類の蝶が都市化の進む鳩ヶ谷市内で記録あるいは定着しつつあり、蝶の研究者にとってはよい研究材料ではありますが、気候変動の影響がはっきりと表れ始めている事実を受け止めて行く必要があります。昨年は、最高気温の日本記録が、七十四年ぶりに更新されました。しかも、気温上昇の分布から見ると岐阜県と埼玉県で同時に亜熱帯化が進んでいるようにも思えます。 自然の生態系が破壊され、肌で感じる異常な暑さや身近な景色の変化を直視し、温暖化防止のために今できる事を実行しないと、取り返しのつかないことになるでしょう。
中国の詩人である杜甫の「春望」で謳われている「国破れて山河あり 城春にして草木深し」の如く、全てが破壊され尽くしても、自然だけは形を変えて復活するのかも知れません。
追加
ムラサキツバメについて
原稿投稿後、九月十五日に川口市の中学生、工藤洋平君より、鳩ヶ谷市本町四丁目の三階建てマンション敷地内のマテバシイで成虫二頭、一令~四令までの幼虫十頭以上を確認したとの情報を得て、十六日に確認したところ二本のマテバシイで筒のように巻かれた若葉の中に包まれた幼虫十二頭を確認しました。このことにより、ムラサキツバメが鳩ヶ谷市内で確実に定着していることが解りました。