縦書き by 涅槃 『鳩ヶ谷博物誌』へ 『郷土はとがや』 第№69号 平成24年5月18日
鳩ヶ谷の生物 十六 藤波 不二雄
都市鳥になったハクセキレイ
都市への進出
岩の上で休むハクセキレイ
ハクセキレイは一九〇〇年代前半には北海道で繁殖し、冬に日本各地に南下して越冬する渡り鳥のような鳥でした。しかし、年々繁殖地が南下し、本州全体で留鳥になっています。ハクセキレイおよびセグロセキレイ (Motacilla grandis)、キセキレイ(Motacilla cinerea) は生息域を概ね棲み分けていますが、一九三〇年代までの日本におけるハクセキレイ(Motacilla alba lugens) の分布域は北海道のみであり、かつて日本の本州以南では本種はほとんど見られませんでした。その後、本種は沿岸部から勢力を拡げ、一九八五年頃までに宮城県付近へ、一九八〇年頃までには南関東および石川県付近まで達したと考えられています。そして、更に南へ、あるいは内陸部へと分布を拡げ、一九八五年時点では南は和歌山県、西は広島県などでも記録されており二〇一〇年には九州でも観察されています。また、地域内における勢力も拡げつつあり、二〇一〇年現在、関東地方の平野部ではハクセキレイが大多数を占めるまでに勢力を拡げ、セグロセキレイの分布域が狭まっています。こうした傾向は、本種が他種よりも都市や埋立地など人工的な環境に適応しており、例えば建築物へ塒(ねぐら)を取る個体数が他種より多いことなどから、都市的環境への適応能力の差によるものと考えられています。
飛ぶハクセキレイ
セキレイという名の謂われについては、セキレイのセキ(鶺)は背筋、レイ(鴒)は冷たく澄んでいる意味の漢語といわれており、セキレイの体がピンと伸びた姿を形容した名前で、まっすぐに長い尾が伸びているセキレイ類の特徴をよく言い表しています。そして、石の上などに止まりせわしなく尾を上下に揺らせ動かします。これらの特徴から呼び名も、ちんちんとり、つんつんとり、庭叩き、岩叩き、石叩き、あおえすただぎ、はまちどり、けつふり、けつふりおかめ、せきれい等、地域によって多くの名があります。これらの呼び名の中で石叩きは俳句では季語として良く使われています。
餌を採るセグロセキレイ
鶺鴒やきらめく瀬々を道移り 野風呂
とおき岩に振る尾又見え石叩き 麻 葉
世の中は鶺鴒の尾のひまもなし 凡 兆
筆者の友人で愛知県在住の歌人、伊与田 博氏の歌集「鶺鴒のうた」(短歌新聞社)には、
鶺鴒の番の一羽舞い立ちて寄りては離れはなれては寄る
と詠われており鶺鴒の行動を良く捉えています。
セキレイは古くから知られており、日本書紀には『イザナギ、イザナミの二神が遂に合交せんとするに、その術を知らず、時に鶺鴒(にはくなふり)が飛びきたりて、その首と尾をたたく、二神見習いて即ち交道を得つ』とあり、鶺鴒(セキレイ)が頭と尾を盛んに動かすのを見て、イザナギ、イザナミの二神は愛し合う方法を学んだという話が載っており、嫁教鳥(とつぎおしえどり)あるいは恋教鳥などとも呼ばれています。ある地方では古老達が、「あの鳥コは神様へ嫁ぎを教えた神聖な鳥だから、悪さなどをすると罰が当たるぞ」などと言って子供達を戒めていたという話もあります。
下面が黄色いキセキレイ
江戸時代には、はくせきれい、しろせきれいの名で知られていました。このようなことから、セキレイは鳥類の中で最も古くから人に親しまれていた鳥と見られています。日本鳥学会出版の鳥類目録第六版に記載されているセキレイの仲間はハクセキレイ、セグロセキレイ、キセキレイ、イワミセキレイ、キガシラセキレイ、ツメナガセキレイなどがありますが、これらの内イワミセキレイは横降りセキレイとも呼ばれ、尾羽を横に振る習性があります。セグロセキレイとハクセキレイはツートンカラーでよく似ています。セグロセキレイは日本固有種とされていますが、近年になって韓国での繁殖例も報告されています。ハクセキレイには多くの亜種があり日本では主に、タイワンハクセキレイ、ホオジロハクセキレイ、シベリアハクセキレイ、ネパールハクセキレイ等の亜種が国内で観察されています。
このうち、埼玉県内で観察された記録があるのは、ハクセキレイ、ホオジロハクセキレイ、シベリアハクセキレイおよびタイワンハクセキレイの四亜種です。ネパールハクセキレイは与那国島などで記録されています。
亜種タイワンハクセキレイは、過眼線があり、背中は灰色、胸の黒い部分が嘴の根元にまで伸びているのが特徴です。主に西日本や奄美大島、琉球諸島などで観察されています。川口市域では二〇〇五年五月十七日に川口市とさいたま市の境に造成中の芝川第一調節池で筆者が観察・撮影した記録があります。
亜種ホオジロハクセキレイは県内では、厳冬期に時々観察されます。過眼線がなくて、胸の黒い部分も喉でとまっているので、顔がずいぶん白く見えます。背中は黒いというのが日本の図鑑の記述ですが、若鳥の背中は灰色ですので亜種ホオジロハクセキレイとの識別に注意が必要です。
亜種シベリアハクセキレイは一九九一年十一月七日から一九九二年一月十九日まで、さいたま市三室地区の芝川で観察されました。県内では唯一の記録だと思います。 過眼線がなくて、胸の黒い部分も喉でとまっているのは 亜種ホオジロハクセキレイと同じですが、背が明るい灰色であることと、雨覆が灰色で白い羽縁があることが特徴です。鳴き声は、ホオジロハクセキレイもシベリアハクセキレイも、特にハクセキレイと違ったところはありません。
鳩ヶ谷地域での繁殖
鳩ヶ谷地域でのハクセキレイの繁殖は一九八七年八月に鳩ヶ谷中央公民館の二階で行われていた料理教室で換気扇のスイッチを押したが動かないので、窓から覗いてみると換気口と窓枠の間に藁や枯草の塊があり、鳥の巣ではないかと問い合わせがありました。急いでいって見るとハクセキレイの巣で、鳩ヶ谷地域でのハクセキレイの最初の繁殖記録となりました。この時は、別の換気扇を回してもらうことにしてヒナが巣立ちするまで待ってもらいましたが、その後一週間ほどで無事巣立ったとの事で人もハクセキレイも一安心でした。その後は地域内各所で繁殖が確認されるようになりました。特に川沿いにあるスレート屋根のある工場では、スレートと鉄骨の間に巣を作りやすいようです。
集団塒(ねぐら)
主に昼間活動する鳥は夜は決まった場所で寝ますが、その場所のことを塒と呼んでいます。単独やペアー、家族単位で塒とする場合と多数の鳥が群れとなって塒をつくる場合があり、後者のように多数の鳥が集まって寝る場所を集団塒と呼んでいます。カラスやムクドリ、ハクセキレイ等は人の住む場所の比較的近くに集団で塒をつくります。集団塒をつくる事によって多くの仲間が集まることで捕食者から身を守る説や、集まることで餌のたくさんある場所などの情報を交換するのだという説がありますが、いずれも証明されておらず謎となっています。鳩ヶ谷地域でも一九八〇年代まで、ハクセキレイは主に一〇月頃に本州に渡ってきて、四月頃まで過ごす冬鳥というのが一般的でしたが、その後、鳩ヶ谷・川口地域内でもいくつかの集団塒が観察されました。ています。
一、 八幡木の集団塒
一九八三年七月~八月にかけて、八幡木二丁目と江戸三丁目の毛長川の江戸橋に架かる電線にハクセキレイの夏塒が観察されました。八月上旬に塒の近所の人から名前の知らない鳥が夕方になると沢山集まり糞をして困ると連絡がありました。行ってみるとハクセキレイの集団塒でした。塒は七月中旬からで、夕方六時半から七時頃にかけて毎日百羽前後のハクセキレイが集まり、一番多い時で約百五十羽が集まりました。数日間この塒に通って観察しましたが、塒に集まる個体数は殆ど一定しており、戻る時間帯もほぼ一定していました。この塒に戻ってくるハクセキレイの多くは新芝川あるいは荒川方面から飛んでくるものが多かったようです。
二、 里交差点の集団塒
二〇〇一年七月初旬から九月一日まで、鳩ヶ谷駅傍にある里交差点付近の電線に二十羽~三十羽のハクセキレイが夕方六時を過ぎる頃から集まり、塒をとっていました。この場所は交通量が多いために騒音が激しく、このような場所に塒をとらなくても他の場所でも良いのではないかと思いましたが、この頃はSR鳩ヶ谷駅周辺開発工事が進行している時期であり夜間でもかなり明るい状態にあり、陽が落ちてからも飛来しやすい状況にあったのではないかと思われます。
三、 川口駅前の集団塒
一九九六年~二〇〇〇年の冬期に、川口駅前の丸井デパート(川口共同ビル)の街路樹および東口にある駅前ロータリーに植栽されている樹木に塒がありました。夕方、六時頃になると各地から一羽、二羽と集まり、丸井デパートやそごうビルの屋上に止まったりして日が落ちると塒入りし、最盛期には二〇〇~三〇〇羽を数えました。はじめの頃は丸井ビル前の街路樹で塒をとっていましたが、街路樹の下を通る時の糞害が多い事から、管理人が毎日ハクセキレイが集まる頃に長い竿で塒にしている木の枝をはたいてハクセキレイを追い出していました。しかし、ハクセキレイはよほどこの辺りが気に入っていたのか、追い出されたハクセキレイはロータリーにあるクスノキを塒にしました。この場所は歩道橋の下に位置しており、暗くなってから帰ってくるものは人にぶつかるのではないかと思うほど低空飛行で戻ってきて塒に直行していました。
阪神淡路大震災の宏観異常情報とハクセキレイ
一九九五年一月十七日に発生した阪神淡路大震災の宏観異常情報が前兆証言としていくつか報告されています。例を挙げると、以下のようなものがあります。
・大晦日の夕刻カラスの大群が東北の方向に飛んでいった。
(地震発生まで十七日間の間があるので関連性は?)
・前日の午後三時頃に兵庫県加古川の田園で数百羽のハトが群がっていた。
・五日前からいつも来ていたスズメが姿を消し、ハトなど大型の鳥がベランダに飛来した。
・一月十五~十六日の両日千羽前後のカラスが西の空を埋めるように飛んでいた。
・前日、大阪市のあやめ公園に数千羽のユリカモメがいた。
.数日前数千羽のハクセキレイが新十三大橋から消え、明石市には突如カラスの大群が現れた。
などですが、これらの内、新十三大橋のハクセキレイについては以前より二千羽前後のハクセキレイが集まり冬塒をとることが知られていました。
新十三大橋(阪急電鉄淀川鉄橋)は淀川にかかる橋で、大阪梅田駅からバスに乗り、淀川を超えると十三になります。十三とは変わった地名ですが、昔、摂津に入って上流から数えて十三番目の渡しがあったことに由来するといわれています。十三の渡しは橋ができるまで、西国街道と大阪を結ぶ重要な交通路でした。
筆者は関西淡路大震災の当日まで大阪に住んでおり、毎日、十三大橋を往復して通勤していましたので、夕刻にハクセキレイが橋の周辺に集まって来るのを観察していました。このハクセキレイの群れが、地震の前日には全く見られなくなったそうです。その後の情報として、新十三大橋から直線距離にして上流に約三㎞ほど離れた場所で塒をとっていたことが確認されました。
・ 一月十六日夕刻 大阪市淀川区十八条の下水処理場周辺に数千羽のハクセキレイが電線などに集結、一晩中鳴いていた。翌朝、地震当日には周辺の路上にはおびただしい糞が落ちていた。
・ 一月二十四日夕刻にも同様に集結し、その夜九時過ぎに最大の余震が発生した。
これらの情報と、地震予知との関連性があるのか、偶然的なものか解りませんが、このような情報を集積することも必要なことかも知れません。
参考文献
暉崚康隆(一九六一)『日本人の笑い』光文社
中村一恵(一九七八) 『本州におけるハクセキレイの繁殖分布拡張に関する資料とその予報的考察』神奈川県博物館協会会報38
中村一恵(一九八三)『日本各地におけるハクセキレイとセグロセキレイの繁殖期の生息状況』Strix Vol.2,Wild Bird
Society of Japan
中村一恵(一九八六)『二種のセキレイの分布境界における
十五年間の変化』神奈川自然誌資料七
高橋千剱破(二〇一一)『花鳥風月の日本史』河出文庫