縦書き by 涅槃 『鳩ヶ谷博物誌』へ 『郷土はとがや』 第67号 平成23年5月18日
鳩ヶ谷市のタンポポの変遷2
藤波 不二雄
鳩ヶ谷市内のタンポポの変遷については『郷土はとがや』(第五九号)で、二〇〇四年度及び二〇〇六年度迄の調査結果を示しました。今回は二〇一〇年度に行った調査結果と過去の記録を比較したタンポポの変遷について報告します。
調査方法は平成二十一年十一月に発足した鳩ヶ谷市郷土資料館友の会・会員(四十五名)を対象にアンケート方式で調査を行いました。
調査の期間は平成二十二年四月二十日~六月二十日までの二か月間にアンケート方式によって、タンポポ群落のある場所を確認すると共に市内全域の公園・空き地・民家の庭などで比較的多くのタンポポが纏まって開花している場所を調査しました。タンポポの種類は、日本の在来種であるカントウタンポポと外来の帰化植物であるセイヨウタンポポおよび両種の交雑種の三種類について、調査を行いました。
タンポポの識別の主なポイントは総苞(茎の上にある花を支えている部分)で、総苞が内側についているものが在来種(カントウタンポポ)、外側に反り返っているものが外来種(セイヨウタンポポ)です。この総苞を見ることによって、在来種と外来種の違いを見分けることができますが、外来のセイヨウタンポポのように総苞は反り返ってはいないが、在来のカントウタンポポのように内側についてなく、両方が混じったような感じのものを交雑種のタンポポとしました。
調査結果の比較
二〇〇四年度は市内の公園を中心に調査を行いましたが、公園近隣の人たちによる雑草除去が行われており、多くの場所を調査できませんでした。図1のグラフに示したように鳩ヶ谷市内のタンポポはカントウタンポポ約四%、交雑種が約七%、セイヨウタンポポが八九%で優先していました。
この様相は一〇年ほど前に調べた状況と殆ど変わっていませんでした。しかし二〇〇四年度の調査では八幡木の一部の地域ではカントウタンポポと交雑種が僅かながら認められました。
二〇〇六年度は市内のほぼ全域を歩き、一三二五株のタンポポについて調査を行いました。その結果は図2に示しましたが、二〇〇四年度の調査結果とは大きく異なっていました。セイヨウタンポポが約六〇%、カントウタンポポ二二%、交雑種が約一九%という状況で、二〇〇四年度に比べてセイヨウタンポポが約三〇%減少し、交雑種が一二%増加していました。
セイヨウタンポポが優先していた地域は里地区と辻地区でほぼ一〇〇%近くを占めており、二〇〇四年度には調査を出来ませんでしたが、おそらく同じような状況であったことが想像できます。大きく変化が認められたのは坂下町地域でセイヨウタンポポが交雑種と置き換わり、ほぼ一〇〇%を占めて優占種となっていました。三ツ和地区および八幡木地区ではカントウタンポポが約六〇%を占めており、セイヨウタンポポは三〇%程度に減少、交雑種が約一〇%になっていました。
東縁見沼代用水よりも北の台地上に位置する本町および桜町地区でも同様でセイヨウタンポポは半減し、カントウタンポポと交雑種が増加しています。特に桜町地区では交雑種が四割を占めていました。
二〇一〇年度の調査では桜町・本町・坂下町・里および辻地区までの地域では交雑タンポポが九五%~一〇〇%を占めていました。この地域で特にタンポポが多かった地域は、コンフォール東鳩ヶ谷敷地内、桜町や本町の公園あるいは駐車場などでした。緑町では調査の前に公園内の下草刈りが行われたため開花しているタンポポの調査場所が少なかったこともありますが、旧芝川沿いの地域で交雑タンポポが一〇〇%でした。
三ツ和から八幡木では三種類のタンポポが確認できましたが、三ツ和地区では交雑タンポポが約八三%、カントウタンポポが一八%、セイヨウタンポポも僅かですが生育していました。
八幡木地区では他の地区と異なりカントウタンポポが七十五%を占めていました。二〇〇六年度の調査でもカントウタンポポ
が六〇%近くを優先し、セイヨウタンポポが三十%程度に減少、交雑種が十%を占めていましたが、今回は共に一〇%以下になっていました。この地区でカントウタンポポが多かった場所は、八幡木中学校および八幡木公園の周囲でした。
今後の動向
二〇〇〇~二〇〇二年の「東京タンポポ調査実行委員会」の調査では在来のタンポポか外来のタンポポか判断できない形態のものが多数観察され、花粉などの調査の結果から「在来種と外来種の雑種」と判定され、現在の外来種の約八〇%は雑種であるとの言われています。一〇年前の東京での調査結果と同じように鳩ヶ谷市のタンポポの現状は交雑種のタンポポに置き換わっています。
鳩ヶ谷市は現在、川口市との合併問題を抱えており、里地区の区画整理事業および地下鉄鳩ヶ谷駅・南鳩ヶ谷駅周辺整備事業に伴い環境は大きく変化し、かつ都市再開発計画が進行しつつあります。また、高層建築と都市計画道路の整備計画が進んでいます。更に第二産業道路が開通したことにより、交通量が増加する一方で旧市街地では大規模高層マンションが陸続と建設され、鳩ヶ谷駅前周辺は大規模店舗やマンションの新築ラッシュに歯止めが無く、急速に姿を変えつつあります。こうした都市化の影響を受け市内の緑が急速に減少し、市内に残っている空き地や芝川などの河川敷あるいは公園などが貴重な緑地として残されています。
市内にあるまとまった緑地は、第二産業道路(大宮・東京線)を境に三ツ和から南町・八幡木地区では二十一ヶ所の公園、寺社などの緑地を含めると二十八ヶ所の緑地がありますが、北に位置する桜町・本町および坂下町では主な公園は五ヶ所、寺社などの緑地を含めても十四ヶ所に過ぎません。現在ある緑地や公園のあり方を見直し、生態系を考慮した公園作りを考える時がきているのではないでしょうか。
近年、公園の工事などに伴い敷地全体を掘り返したり新たに植栽したりといった造成などが目立っていますが、この様な方式は在来種の分布地を破壊することになります。二〇〇四年まではセイヨウタンポポが最優先をしていましたが、七年後の二〇一〇年には交雑種のタンポポと置き換わっていました。このように、身近に残された自然の中で、タンポポの遷移が進んでいることは大きな変化です。これらの変化は都市開発に伴っていることは明らかであると思いますが、タンポポは綿毛を風に乗せてより遠くへ飛ばすことによって種の保存と勢力を広げています。第二産業道路が出来て他の地域から種子が運ばれてきている可能性も考えられます。継続調査をすることにより、なんらかの環境の変化を掴むことが出来るかもしれません。
日本の在来種であるカントウタンポポが優占種であった大正~昭和の時代から、セイヨウタンポポが優占種となった昭和~平成へ、そして現代は交雑種のタンポポが優占種となっています。
環境の移り変わりが、時代の変化、歴史の流れに対応したものであることは言うまでもありません。身近な自然の変化に目を向けることは鳩ヶ谷市の環境や歴史の変化に目を向けることでもあります。
調査協力者(二〇一〇年度)
篠田常子、嶋田文子、吉田雅夫、岡田博、名倉美代子(敬称略)
参考文献
藤波不二雄(二〇〇七) 『鳩ヶ谷市のタンポポの変遷』郷土はとがや第五九号、p.63-69
藤波不二雄(二〇一〇) 『アンケート方式によるタンポポ及びツバメの営巣調査』風の道、鳩ヶ谷郷土資料館友の会会報No.4