縦書き by 涅槃 『鳩ヶ谷博物誌』へ 『郷土はとがや』 第64号 平成21年11月18日
鳩ヶ谷の生物十一
緑の多い住宅地に進出するオナガ
藤波 不二雄
飛び立つオナガの若鳥
オナガはスズメやツバメと同じように私たちの身近に生息しています。子供の頃「オナガが鳴くと雨が降る」と親や知人によく聞かされていました。子供心に、どうしてオナガが鳴くと雨になるのか不思議でしたが、雲行きが怪しくなってそろそろ雨が降りそうな時にオナガが「ギューイ、ギューイ」と鳴きながら飛んでいた記憶があります。似たような言い伝えに「傘売りの秤に使う尾長鳥」なんていうのがありますが、これもオナガが鳴くと雨が降るという事を指標にしているものと考えられます。
オナガ Cyanopica cyanus はカラスの仲間で、ユーラシア大陸の東西両端の離れた地域に分かれて分布する留鳥です。分布地域は日本から極東および東アジアにかけて広く分布し、近似亜種としてロシア東部にアムールオナガ、中国東部にマンシュウオナガなどが生息しています。別の亜種としてイベリア半島(ヨーロッパ)のポルトガルとスペインの一部に生息しています。いずれの地域においても局所的、飛び地状に生息域があります。イベリア半島のスペインとポルトガルの分布は地球の反対側にもいるということになり、このような分布は隔離分布と言われ動物の世界ではまれに見られます。何故この様に隔離された地域に分布しているのかは不思議ですが、一つは「自然分布」もう一つは、なんらかの理由により人が放鳥した「人為分布」とがあり学説的には決着がつかなかったようです。しかし、一九〇〇年代に中国からオナガの化石が見つかり、さらに一九九七年にイベリア半島の南端にあるジブラルタル付近で、約四万五千年前の地層から化石が発掘され、三箇所から四個体の化石が出てきたそうです。
この化石の発見によってオナガは、約一万年前の最後の氷河期まではアジア大陸全域に広く分布していましたが両端の地域を除いて絶滅したのではないかと考えられているようです。今後、大陸の中央部で「オナガの化石」が見つかれば、この考え方が正しいことになります。近年の遺伝子分析(DNA解析)によれば、二つの地域個体群は種レベルで区別されているようです。つまり、両個体群の分化が数万年昔にまでさかのぼることがわかっており、イベリア半島の個体群は別種 Cyanopica cooki となる可能性が示唆されています。なお、日本では時代の流れと共に環境が著しく変化したためオナガは分布を狭めています。一九七〇年代までは本州全土および九州の一部(一九六三年七月に久留米市で繁殖)で観察されていました。西日本では一九四八~四九年に大阪府豊中市、一九六七年に兵庫県西宮市、宝塚市、明石市等で記録がありましたが、一九八〇年代以降は西日本での繁殖は確認されておらず留鳥として姿を見ることはなくなりました。現在は石川県以東、長野県中部、山梨県西部、神奈川県以北で観察されるのみとなっています。わずか十年足らずで西日本の個体群が姿を消した原因は全くわかっていません。ただし、九州の個体群については近年になって分布を拡大し続けているカササギとの競争に破れたという説があるようです。
長野県における中村の研究によれば、「今から四十年ほど前まではカッコウは高原に、オナガは低地に棲んでいたが、その後両者が分布を拡大し分布が重なった結果、オナガへのカッコウの托卵が始まった(中略)カッコウの托卵は、僅かの期間にオナガの分布域全域に広がりオナガの数は激減しました。(中略)十年ほどで、最初は一方的に托卵されていたオナガが最近挽回し数を増やして、カッコウに托卵されなくなった地域もあります」このように分布域を狭めてはいますが、東日本に残された群の個体数は減少どころか増加の傾向にあるところもあるようです。
特徴
オナガの特徴は尾が長く、黒いベレー帽を被り、翼は青く、背が灰色の清楚な感じのする鳥で雌雄同色です。日本を含む極東地域などに生息するオナガは尾の先に白い帯がありますが、イベリア半島に生息するオナガでは尾の白い部分がありません。また、日本ではオナガと呼ばれていますが、これは尾が長い特徴から名付けられています。 中国では背が灰色で鵲(カササギ)に似ているところから灰喜鵲、英名の Azure-winged Magpie は翼が青いところから名が付けられており、それぞれに目の付け所が異なります。富山県では地獄鳥と呼び、地方によっては牛追い鳥などと呼ぶところもあるようです。その他、群馬県では雨降鳥、大阪府ではさんじゃく、おびこどり、青森県ではギギードリなどの方言があるようです。
オナガは俳句や短歌ではあまり謳われていないようですが、オナガの特長を上手く表現した歌として以下の二首があります。
山に雪降り里は杏子の花ざかり尾長鳥あまた群れてあそべる
若山牧水
尾長鳥道のべの木に飛び交へりあはれ美しと吾はおもへる
斎藤茂吉
また、一般にオナガドリ(尾長鳥)と呼ばれている鳥は、ニワトリの品種の一つで長尾鳥(ながおどり)とも呼ばれ、雄の尾羽が極端に長くなる(長いものでは十㍍を越えるものもいます)のが特徴です。高知県原産で特別天然記念物に指定されています。
生態
オナガは、平地から低山帯の比較的明るい森林や竹林を好み、森林に近接する市街地などでも見られます。食性は雑食で昆虫や果実、種子などを常食としています。秋から翌年の春先にかけては群れを形成し、一団となって各所を移動して行きます。そして、その行動経路は、ほぼ一定の地域に限定しています。行動経路は毎日異なりますが、主として樹木の多い場所を選択し、いつも高い所にいますが地上でもよく採餌しています。春先まで群れで行動していたオナガは四月頃になると分散し、番になったオナガが巣作り行動に入ります。初期の頃は巣作りを一日中行わずに、時々群れに戻り行動しているようです。群れの大半が巣作りや産卵に入る頃になると群れ行動を行わなくなり、繁殖ペアごとの活動になります。カラスの仲間ということもあり学習能力が高く、また、警戒心が強く敵に対するモビング(疑攻撃)行動も活発で、巣が襲われた場合などは集団で防衛にあたります。オナガの巣は群れ行動の範囲内に作られますが、地域によっては集団繁殖でもしているかのようにそれぞれの巣間距離が数㍍という事も珍しくありません。他のオナガが自分の巣の近くに来ても追い払おうとしませんので縄張り意識が弱いのかも知れません。しかし、カラスや猛禽類などが巣に近づくと周辺に生息しているオナガが集まってきて激しい声で鳴いたり、体当たりするように襲いかかり侵入者を追い払います。オナガは水浴びが好きで、池や川、水田などで水浴びをします。
鳩ヶ谷市内のオナガの分布
天保十五年に作成されたと言われる日光御成道絵図によれば、鳩ヶ谷宿へ入る手前の昭和橋付近に紀州藩御鷹場が記載されています。江戸時代、江戸城から約二十㎞四方が将軍家御鷹場、その外側に御三家鷹狩場が割り当てられていました。狩り場に指定されていた頃は「御鷹場法度」により鳥獣保護や雑木林の保存・育成が行われていました。しかし、明治以降は狩猟が自由になると共に、農地も徐々に宅地に変換され、屋敷林なども減少していきました。それでも、昭和四十年代頃までは自然環境が豊かであったことからオナガの個体数も多かったという印象がありますが、現在鳩ヶ谷市内に生息しているオナガの個体数は三十羽前後と推定されます。
A地区(桜町四~六丁目および本町一~三丁目を中心)
この地区ではコンフォール東鳩ヶ谷の街路樹で繁殖し、鳩ヶ谷中央病院から桜町六丁目を主な行動域とする家族群、本町二丁目の生産緑地(樹林)などで繁殖し、本町一丁目から桜町六丁目を行動域とする家族群、本町三丁目の民家の屋敷林で繁殖し、御獄神社周辺から桜町六丁目を行動域とする家族群、鳩ヶ谷小学校の斜面林から氷川神社などの林を中心にした家族群などがあります。これらの家族群は雛が巣立った後は混群となり、ほぼA地域内を廻っています。特に冬期は毎年十~二十羽程度の群れで構成されています。しかし、二〇〇七年に本町三丁目の屋敷林約半分の土地が更地となり、二〇〇八年にはアパートが建設されました。この地は、旧清水病院の建物があった場所で、その後屋敷林となっていました。また、道路を隔てた埼玉植物園の植木畑が二〇〇七年より老人福祉施設となりました。それに伴い、飛来する頻度が減少したようです。この地域は、台地上にあり、三光稲荷・地蔵院・法性寺・湧き水公園・などの保存樹林があります。さらに生産緑地として植木畑や市民農園などがある事によりオナガの生息に適しています。また、コンフォール東鳩ヶ谷のある場所は昭和三十年代後半まで権現山と呼ばれた里山(裏寺遺跡があった場所で桜町四丁目)で雑木林が広がっていましたが東公団建設のため開発され消失しました。そして、最近になりコンフォール東鳩ヶ谷として再開発され、以前に比べ建物の周囲に多くの植樹が行われたことにより、オナガが飛来し街路樹で営巣するようになりました。
この地区では、通常十羽前後の群れ行動をしていますが、二〇〇九年一月一九日に地蔵院境内に飛来した群れの個体群は二十羽でした。それ以上大きな群れは市内では観察されていません。
B地区(八幡木一、二丁目~南二丁目を中心)
この地域では十二島の屋敷林が保存されており、周辺には小規模ながら生産緑地としての農地が散在していることからオナガの生息に適しています。八幡木中学校および鳩ヶ谷市の樹林地として保存・指定されている八幡神社・台公園およびミツワ幼稚園などを中心に行動するグループがあります。A地区ほどのまとまった緑地はありませんが古くからの農家が散在しており小規模な屋敷林や垣根があることから何とか生息が可能な地域です。特に、越冬期の餌の不足する時期には、八幡神社の樹林地でキジバト、ムクドリ、スズメなどと共に群れて地上に落ちている餌を拾ったり、木の幹の樹皮に嘴を差し入れて餌を採っているのをよく見かけます。この群れは十羽前後で行動を行っています。そして、群れは冬期には川口市域の赤井から新郷中学校付近まで行動圏を拡げているようで、毛長川調節池を越えて飛翔する群れを時々見かけます。この群れと同じかどうかは解りませんが、夏期に三ツ和地区の住宅と一体化した生産緑地が屋敷林に囲まれている場所が多いためか、数羽の群れが観察されています。緑地が少ないこともあり、繁殖期のみ行動圏を広める事により、群れ内の繁殖期の餌の確保をより豊かにしているのではないかと思われます。しかし、この地域も少しずつ農地や屋敷林が減少しています。
C地区(辻地区~里地区)
辻バス停付近の農家周辺から里の下水道ポンプ場周辺を中心に行動するグループで冬期はさらに行動圏が広がっているようです。この辺りは常住寺や真光寺などの寺社が散在し、小規模ながら屋敷林や畑地があることから生息が可能となっています。特に、この地域には禅師丸という柿をはじめとした数種類の柿の木が散在し、熟しても実を採らないところが多く、秋から冬にかけてオナガにとっては最高の餌場となっています。しかし、里地区の区画整理事業の影響で自然環境が悪化し、屋敷林が減少しているため行動範囲が狭められています。特に、埼玉高速鉄道が延伸し、鳩ヶ谷駅の周辺に大型ゲームセンターやマンションが建ち並び、道路整備が行われた結果、多くの樹木が消失している事からオナガの行動域が加速的に減少しています。
D地区(南鳩ヶ谷駅周辺地区)
南鳩ヶ谷駅の周辺は埼玉高速鉄道線の開通と共に著しく都市化が進んでいます。しかし、南公民館に隣接した農家の屋敷林と生産緑地があることからオナガの生息に適しています。特に、この農家の屋敷林にあるウメ・シュロ・イチョウ等に発生する蝶や蛾の幼虫などを求めて終日この周辺で生活をしています。庭先に人の姿が見えない時には、庭に降りたり、庭先の水溜の水を飲んだり、屋根や樋などに落ちてきた昆虫類を捕食したりしています。カラスやムクドリも頻繁に飛来しており、オナガの繁殖期にはカラスやムクドリが飛来すると威嚇攻撃をして追い払います。時には近くの駐車場などでも採餌をしたり、南鳩ヶ谷駅方面まで真っ直ぐに飛んで行くこともあります。恐らくこの群れの大きさは十羽以内と思われます。六月中旬頃には農家を中心に行動しており、餌を銜えたオナガが屋敷林の中に入っていくことが多いことからこの地で繁殖している可能性が高いと思われます。現在、南鳩ヶ谷駅を中心にした再開発計画が進んでいることから、オナガの生息可能な環境が失われ、オナガの生息が脅かされる可能性が高いものと思われます。
一九八三~八四年に長野市日詰および一九六二~六五年および一九八三年冬期に長野市川中島で、オナガの個体相互の関係や群れの関係などの研究を行った細野哲夫によれば「番や家族群がみられる時期を繁殖期(四月~九月)とし,それ以外を非繁殖期とした非繁殖期の群れは二十羽内外でまとまりをもって移動し一日の群れの大きさは終日変らなかった。塒は常に群れの全構成員でとられ、冬から春にかけては二~三群の合同した複合塒が形成されることがあった」と報告しています。鳩ヶ谷市のグループも十~二十羽で行動し、いずれのグループも、移動する時には民家のアンテナや庭木に止まったりしながら移動していきます。繁殖期によく見かけるのは、アンテナや電線に止まって巣立ち雛に餌を与える場面で、大きくなった雛は親鳥と見分けがつきませんが、翼をふるわせて嘴を大きくあけて、おねだりするような仕草をします。この様な光景も市内からまとまった緑地が毎年減少していますので、鳩ヶ谷市内でオナガの姿を見るのも難しくなるのではないでしょうか。参考文献
(1) 福岡県の自然を守る会(一九七八) 『福岡県の野鳥』福岡県の自然第四集
(2) 羽田健三(一九七七)続野鳥の生活、築地書館
(3) 兵庫野鳥の会(一九九〇) 『兵庫の鳥』
(4) 細野哲夫(一九八九)日本鳥学会誌三七巻三号p.103-127
(5) 中村浩志(二〇〇九)子育てを自分でしない鳥「カッコウ」私たちの自然・五四七号
(6) 日本野鳥の会(一九七八)『鳥類繁殖地図調査』環境庁
(7) 日本野鳥の会大阪支部(一九八七) 『大阪府鳥類目録』
(8) 清棲幸保(一九七八)日本鳥類大図鑑Ⅰ講談社
(9) 豊中市史編纂委員会(一九九九) 『新修豊中市史』 第三巻・自然