縦書き by 涅槃 『鳩ヶ谷博物誌』へ 『郷土はとがや』 第60号 平成19年11月15日
鳩ヶ谷の生物Ⅶ
「キジバト」減りつつある市の鳥
藤波 不二雄
「市の鳥」として知られるキジバトは「自然と生活の調和」というイメージから選出され、市が目指す家庭都市に相応しいということから市制施行十周年を記念して一九七七年に制定されました。また、市章の形は、鳩の文字を左右に並べて、円形にデザインされたものです。この市章は鳩ヶ谷町時代の町章でもあり、平和の鳩を輪に力強い線で表現されています。
今年は市制四十周年にあたり、「アニバーサリー・イヤー」として位置づけされ、市では記念デザインを作成しました。このデザインはキジバトをモチーフに表現され四十の数字と将来都市像「は~とふるシテイ」の文字がデザインされて、「広報はとがや」の表紙に掲載されています。さらに、マンホールの蓋や公団通りなどにもキジバトのモチーフが設置されています。
キジバトは漢字で書くと「雉鳩」と書きますが、中国では「山斑鳩」、台湾では「金背鳩」と書きます。キジバトの方言には、山鳩以外に地域ごとに色々な呼び名がついています。
鳴き声から付けられたもの
・ あさばど(朝よく鳴くところから?)
・ぽっぽどり(鳴き声から)
・ すけじょーほいけ(茨城県鹿島郡)
・どでーっぽっぽ・どでーぽっぽめ・どでぽっぽ・どでっぽっぽ・どでっぽっぽめ・どでっぽめ・どでぽっぽ
習性から名付けられたもの
・どば(ドバトの意) ・どばちん(ドバトの意) ・のばど(野鳩の意) ・ツチバト(土鳩の意)
・ちちっこ(土鳩の意)
この様に色々な方言名がありますが、いずれもキジバトの鳴き声や習性などからつけられています。昔の人たちがいかに自然を観察していたかが解ります。
マンホールのフタ
公団通りのキジバト像 公園通りのタイル
キジバトはスズメやツバメ同様に身近な野鳥として、古くから短歌や俳句などでも山鳩として親しまれています。
山鳩は悲しき鳥か相呼ばふ声はかたみに透ることなく
たち上る白雲のなかにあはれなる山鳩啼けりしろくものなかに
斎藤茂吉
原ゆけば翔つ雉鳩が尾の先の白線ひろげ木の方へゆく
白樺の幹ひといろのあたりには雉鳩が鳴くふふみ声あり
中西悟堂
これらの歌はいずれもキジバトの習性や特徴をよく捕らえています。
また、古くからの言い伝えとして、山鳩が鳴くと雨が降るとの言い伝えが有り「山鳩は捻くれ者で言った事の反対の事ばかりしていた。死ぬ時、その性格を見越した母鳩は川のほとりに埋葬するように言う。遺言だけはちやんと間いた山鳩は雨が降り母の墓が流されそうになるのを心配し「ててっぴゅっぴゅ」と鳴く、」と言う話があります。
同じような、言い伝えですが「夕方山鳩が鳴いたら空を見るな、朝鳴いたら川を渡るな」これは、夕暮れ時に山鳩が鳴いたら明日は晴れるので空を見なくても良いが、朝鳴いたら雨になり、増水して川を渡って帰れなくなるから川を渡るなと言うことのようです。これらの言い伝えは、「オナガが鳴くと雨になる」と同じようなことですが、信憑性は別として、昔から山鳩は気候の変化に敏感に反応して鳴くと言われています。
ハトの仲間
ハトの仲間は世界には約二九〇種類が記録されています。そのなかで、日本では九種類が記録されています。二次野生化しているドバト(ヨーロッパに生息するカワラバトの飼養品種)を加えると十種類になります。これらのハトの中にはシラコバト(二次野生)やベニバトのような東南アジアからの迷鳥なども含まれます。また、リュウキュウカラスバトやオガサワラカラスバトの二種類は既に絶滅種となっています。
カラスバト・キンバト・ズアカアオバトの三種類は南方系の種類で沖縄や八重山諸島など、局地的に分布しています。従って、全国的に分布しているのは主に山地に生息しているアオバトと一般的によく知られているキジバトの二種類です。
キジバトの学名の種小名orientalisは「東方の」という意味で日本はもとよりユーラシア大陸中央部から、西シベリア・インド・中国・ベトナム・韓国などに分布しています。国内では主に九州以北に生息し、別亜種のリュウキュウキジバトが屋久島・奄美大島および琉球諸島に生息しています(奄美大島ではカラバトあるいはヤマバト、沖縄ではヤマボートゥ、宮古島ではンーバトウ、と呼ぶところもあります)。
本州以南では留鳥ですが、北海道では冬期には本州などに移動し、越冬する事が知られています。
キジバトの近縁のハトは世界に約十五種類、その中で一番よく似ているのはユーラシア大陸の西半分と北アフリカに生息するコキジバトです。この仲間の他のハトとしてはシラコバト、インドから東南アジアにかけて分布するオオベニバト、ベニバト、カノコバトの三種類です。
平安時代頃はキジバトもアオバトも「山鳩」と呼ばれ、キジバトと呼ばれるようになったのは江戸時代になってからと言われています。ハトの語源は飛び立つ時に出す「ハタハタ」という羽音からという説がありますが、「キジバト」の名はキジの雌に似ているところから付いたと言われています。
キジバトは公園や神社などにいるドバトよりも僅かに小さく、成鳥の頸の両側には青灰色と黒の特徴的なうろこ模様がありますが、幼鳥は頸のうろこ状の斑は不明瞭です。体は葡萄色をおびた褐色で、翼や背は赤褐色味が強く、尾の先端部は灰白色でその内側に黒い帯があり目立ちます。また、脚が赤いのも特徴の一つです。
繁殖期の雄は電線や電柱などに止まり、低い声でデデッポーポーあるいはゼゼッポポーポー(地方によっては、ポーゴアッポッポウ・テテッビョ、等と聞きなすところもあります)等と繰り返し鳴き、雌の前では喉を膨らませて、お辞儀をするような動作をしながらクッークッと鳴いて求愛し、時にはプッ、あるいはクゥとかおならのような声を出すこともあります。
歩き方は地上を交互歩行し、首を前後に揺すりながら歩き、地上に落ちている餌をつまみとるように拾って食べます。
飛び方は、普通は深くて強い羽ばたきと短い滑空を交互にして飛びますが、繁殖期には雄が空に向かってバタバタと力強い羽音をたてて舞い上がり、翼と尾を大きく開いて滑空するディスプレイ飛翔を行います。この行動は自分を強く見せるための示威行動と思われますが、この様な飛翔は小型のタカの仲間のチョウゲンボウ(ハヤブサの仲間)によく似ています。
天気の良い日に、草地や砂地などに座りこんで翼や尾羽を地面につけるようにして広げてじっとしているキジバトを見かけることがあります。これは日光浴をしているところで、よく観察すると、羽のすみずみまで日光を浴びることができるような姿勢をしています。 ハト類の水浴びは小鳥類のように水を跳ね上げることはなく、やや深めの水の中にじっと座っている独特のものです。
キジバトの水の飲み方は他の鳥と異なっています。普通の鳥の水の飲み方は「くちばしですくって、上を向いてごっくん」というふう飲みます。従って、一度に飲める量が少ないので何回かこの動作を繰り返します。一方、ハトの飲み方は人間と同じように、嘴を水につけたままごくごく飲みます。人間にとっては当たり前のような飲み方ですが、鳥の中でこれができるのはハトの仲間(キジバト、ドバトなどの類)だけです。もちろんハトも他の鳥のような飲み方もできます。なぜハトだけがこのような飲み方ができるのかは、実はまだよくわかっていません。
羽づくろいするキジバト 海上を飛ぶキジバト
巣づくり
雑木林や庭木などの樹上の枝の上などに枯れた小枝などで浅い皿形の巣を作り、純白の卵を二個産みます。雄が小枝を運び積み上げて四、五日をかけて作ります。大変粗雑な巣で、下から透けて見えそうな巣を作り、主に地上一㍍から十㍍(平均二~四㍍)の高さの横枝上に作られます。稀には地上から数十㎝の茂みの中に作られたこともあります。
近年はアーケードや倉庫の鉄骨上、駅のホームなどの人工物にも営巣する例も多くなっているようです。変わった例では、川崎市の日本鋼管京浜製鉄所で所内の道に散水して清掃するタンクローリーのエンジンルームの中に、一九八六年と一九八七年の二年連続してキジバトが営巣して、無事雛を育て上げた例があります(東京新聞川崎版・一九八七年四月十九日)。セキレイ類がトラックなどの車に巣を作ったり、ツバメが定期航路の船に巣をつくったりと言う例はありますが、キジバトでは始めての記録ではないでしょうか。
年に何度も繁殖する
多くの小鳥類は、育雛時には昆虫類などの動物性蛋白を与えます。そのために小鳥類は鱗翅目(蝶や蛾の仲間)の幼虫が大量に発生する春から初夏にかけて繁殖をします。これに対してハト類は植物質の餌だけで育雛する事が可能なため繁殖期が限定されません。また、雛にはハト類独特のピジョンミルクを分泌して与えるために営巣する期間が限定されません。ピジョンミルク(鳩乳)は雌雄のどちらもが「そ嚢」という器官で生成します。近年の研究によれば、「そ嚢」の内壁が肥厚して剥げ落ちたもので、成分としてタンパク質や脂肪を多く含んでいるほかに、雛の成長を促進する物質も含んでいると考えられています。ピジョンミルクを利用する事により、他の小鳥類のように多くの昆虫類を繁殖期に必要とせずにすむのでキジバトの繁殖に大きな影響を与えているものと考えられています。
キジバトの繁殖は雌雄が協力して繁殖活動を行い、産卵から巣立ちまで約一か月かかります。地球温暖化の影響もあり、近年では年に六回ほど繁殖を繰り返す番もいるようです。
我が家の庭で繁殖したキジバト
一九九八年五月下旬、庭のサザンカの木にキジバトが営巣しました。五月下旬に窓の近くにあるサザンカの木にキジバトが飛来し、よく鳴いているなと思っていたところ、枯れ枝を運び始め営巣を始めました。雌は巣に座っており、雄が運んでくる巣材を体の下に入れて巣を組み立てていきました。雄は巣材である木の小枝などを地上で拾ったり、樹から折ったりして一本一本運んできました。巣は百本以上の木の枝で出来ているので、恐らく一日百回以上は巣材を運んできたのでしょう。三日ほどで巣を完成させました。
完成とは言っても、ツバメのようにしっかりと作るわけではなく、粗雑な巣なのであっという間の突貫工事です。巣を作ってから数日で二個の純白無斑の卵を産みました。抱卵は昼間は主に雄が行い、夜は雌が行っていました。一度抱卵を始めると巣に親鳥がいない時は殆どありません。我が家のキジバトの巣は窓から約一㍍、高さ二㍍の位置にあり、外を人が歩いていても安心して子育てをしていました。卵から雛が孵るには十五~十六日かかります。雛が孵っても数日間は、抱卵の時と同じようにいつも親鳥が巣にいて雛を温めていました。その後、徐々に親鳥が巣にいる時間が短くなって行き、そのうち親鳥は雛に餌を与える時以外は巣に飛来しなくなりました。雛には親鳥が口移しでピジョンミルクという液状の餌を与えていますが、雛が成長するに従い、植物の種子等も与えていました。雛が孵ってから二週間ほどして、かなり大きくなった頃、雨戸を開けると雛が一羽見あたりません。巣の下に落ちているのかと思い、探したところブロック塀に血痕が付着していました。もしやと思って観察していたところ、この辺りでは見かけない野良猫が来て、ブロック塀からサザンカの枝に飛び移り、残りの雛を銜えて逃げていきました。あっという間の出来事でした。この後、一週間ほど二羽の親鳩が来て鳴いていましたが、いつの間にか庭にも飛来しなくなりました。我が庭でのキジバトの繁殖は三十年間の間にこの例が一度だけでした。家の周りには常に十匹以上の野良猫や飼い猫がうろついており、庭を遊び場や昼寝の場所にしているネコが多いために警戒しているのかもしれません。繁殖中のキジバトの雛を狙うのはネコだけでなく、カラスによる被害も多いようです。
キジバトの塒
キジバトもスズメ・ムクドリ・カラスあるいはハクセキレイなどと同じように塒をとります。通常は一羽や二羽で塒をとることが多いようですが、群れで塒をとることもあります。我が家ではキンモクセイの木に数ヶ月の間、キジバト一羽が塒にしていましたが、冬になってからツグミが塒にしていました。
二十五年ほど前の観察例ですが、東京の六義園(松田道生、一九八九年)での観察では一九八五年四月十三日五十八羽が最大で、六義園全体では百二十羽以上が集結していたようです。塒に集まる個体数は季節によっても変動します。キジバトは、秋から翌年の春頃まで増加する傾向が見られます。この時期は北海道などのキジバトが温暖な地域へと移動してくるためではないかと考えられています。
海を渡るキジバト
北海道のキジバトは、越冬のために比較的温暖な本州以南に漂行してくると言われています。キジバトにかかわらず多くの小鳥類は、春と秋に長距離の移動を行います。
筆者は東京港から苫小牧あるいは釧路への航路上で、三十年近く海鳥の観察を行っていましたが、キジバトが船上に降りて休憩したり、フェリーの近くを飛んでいる姿を見ることが多々ありました。北海道から本州までは比較的近いので、飛翔距離としてはたいしたことはないように思われますが、どういうわけか上空を飛ばずにフェリーのますとの高さと同じか、海上すれすれに飛んでいることが多いのです。海上を飛ぶ時は波の飛沫を被りながら力強く飛ぶキジバトに感動したこともあります。
しばらく、フェリーの後になり先になったりして飛んでいたキジバトは陸地が見えて来ると、フェリーから離れていきました。まるで自分が行くべき場所をしっかり把握しているかのようでした。
キジバトの餌
十年ほど前になりますが、庭のサンショウの木にキジバトが飛来しました。最初はあまり気にもとめなかったのですが、二、三日するとサンショウの木が風もないのに揺れていました。よく見ると五羽のキジバトがサンショウの実を食べていました。サンショウは「ピリリと辛い」という言葉があるように、人間でも実をそのまま食べるとピリッとするようなサンショウの実をキジバトが好んで食べるとは思いませんでした。毎年多くの実が出来ていましたが、それまでキジバトが食べているのを見たことがありませんでした。それから数日して、十羽ほどの群れが毎日飛来するようになり、二週間ほどで全ての実を食べ尽くしてしまいました。この年は例年に比べ寒かったこともあり、他にキジバトの餌になるようなものがあまり無かったのかもしれません。翌年からは冬になってサンショウの実が豊富に実っていてもキジバトの飛来はなかったので常食としているのではないのでしょう。
鳥は嘴の大きさや形によって、餌の嗜好性が異なります。キジバトは植物食なので植物の種子を多く食べます。特に、農地では穀類(アワ・ムギ・イネ類)・豆類(ダイズやアズキなど)を食べますが、都市公園や民家の庭などでは、
アキニレ・アラカシ・エノキ・クスノキ・クロガネモチ・ケヤキ・トウネズミモチ・ナンキンハゼ・アカメガシワ・ピラカンサなどの種子、草本類(俗に言う雑草類)では、エノコログサ・カモジグサ・オヒシバ・メヒシバ・カヤツリグサ科の植物・カラスノエンドウ・スズメノエンドウ・ツユクサ・ハコベ・ブタクサ・ヘクソカズラ・イヌビエ・オランダミミナグサ・スズメノカタビラ・ナタネ・外来種のアメリカフウロ、オオアラセイトウ等、あらゆる植物の種子や実を食べているようです。
キジバトの増加と減少
もともと、キジバトの住処は、高木の茂みと開けたところが入り交じった所や、高木の散在する地域でした。しかし、人間が森林を切り開いて田畑にしたり、村落が出来たためにキジバトの生息に適した地域が年々増加してきました。
キジバトはいつ頃から町中に住み始めたのでしょうか。
一九四一年発行の「武蔵野」に(財)日本野鳥の会・初代会長の中西悟堂氏が善福寺風致地区ではキジバトは一年中見られるが、都心の明治神宮と淀橋浄水場付近では四月から八月までは見られない冬鳥であると報告しています。
一九一七年から一九一九年の赤坂での記録では十月下旬から十一月初旬に渡来し五月七日頃に渡去するとの記録があります(東京の鳥)。
一九五七年に発行された(財)日本野鳥の会東京支部報に故・高野伸二氏が四ッ谷での観察記録「十月十一日、キジバト二羽飛翔。初認」、さらに翌年も十月四日飛来、を報告していました。この頃は東京都心では留鳥ではなく冬期に飛来する漂鳥であったと思われます。今では、一年中何処でも見ることが出来る留鳥となっていますが、かつては都心では数の少ない冬鳥であった貴重な証拠です。この頃、世田谷で野鳥に給餌を行っていた故・佐伯敏子さんの観察では、昭和三十四年(一九五九年)冬に初めて庭に訪れたとの記載があり、その後昭和三十七年(一九六二年)には一年中姿を見せるようになり、昭和三十八年(一九六三年)春には巣立ちビナも飛来するようになっています。
鳩ヶ谷市内でも四十年代には車や人通りの激しい街路樹で繁殖し、道ばたや公園などで人が近づいても少し移動するくらいで、平気で採餌をしたり翼を広げて日光浴をしたりするようになりました。五十年代以降にはドバトと同じように人工物でも営巣するようになりました。
この傾向は全国的なもので、九州方面では一九六九年以降各地での繁殖が確認されています。
そして、今では樹木の多い住宅地や都会の公園でも生息しています。しかし、鳩ヶ谷市も都会化が進み、水田や畑地などの農地は次第に市内から姿を消しつつあります。彼らの住み場所は人間の手によって増加し、今度は同じ人間の手によって減らされ始めました。
現在、鳩ヶ谷市内では住宅地の狭い庭や公園の空き地等で見かける程度になりました。生活力の逞しいドバトと異なりキジバトの適応力はこうした生活に耐えるくらいが精一杯のようです。また、前述したように野良猫やカラスによる捕食もキジバトの生息にかなりの影響を与えています。
「自然と生活の調和」を目指して制定された鳩ヶ谷市のシンボルバードであるキジバトが、自然環境の破壊にとって生活の場を少しずつ失いつつあります。シンボルバードを制定したのですから、その鳥が安心して繁殖し、ある程度の個体数を維持できるような生息環境を創出することが必要ではないでしょうか。
果たしてキジバトが住めなくなったような場所が、人間が健康に住めるところなのでしょうか。よく考えてみると大変大きな問題なのではないでしょうか。
参考文献
一、中西悟堂(一九四一)武蔵野の鳥、武蔵野(科学主義工業社)
二、(財)日本野鳥の会(一九七五)東京の鳥(東京都産鳥類目録、明治から現代までの記録)
三、松田道生(一九八九)六義園におけるキジバトの就塒形態、Strix、(財)日本野鳥の会
四、和田岳(一九九一)ピジョンミルクが繁殖期を広げる、動物たちの地球(朝日科学社)